建物賃貸借契約終了時における現状回復

Q. 借りていたアパートから退去することになりました。賃貸借契約書を確認すると、「借主は、明渡時に、物件を入居時の状態に回復する義務を負う。」「借主は、明渡時、カーペット・クロスの張り替え費用、ハウスクリーニング費用を負担しなければならない。」との契約条項があります。私はこのアパートをきれいに使用しており、特別な汚れもありませんが、これらの修繕費用を負担しなければならないのでしょうか。
A. 建物の賃貸借契約においては、物件の使用の対価として賃料を支払うことが契約の中核です。物件を使用すれば、その使用に落ち度がなくても、物件の価値が徐々に下がってきますが(これを「通常損耗」とか「自然損耗」といいます。)、その対価として賃料が支払われているのです。
従って、壁のよごれなどが通常損耗である限り、借主が原状に回復する義務はありません。通常損耗の回復費用を借主に負担させることは、通常損耗の対価である賃料を支払っている借主に対し、二重に通常損耗の対価を負担させるもので、借主に不当な負担をさせるものと言えます。
しかし、故意や過失により汚したり(例えば、子供の落書きなど)、特別な使用をした結果生じた損耗は通常損耗と言えず、借主に原状回復義務があります。もっとも、ご相談のケースでは、カーペット・クロスの張り替え費用とハウスクリーニング費用を借主が負担するとの特約があり、この特約の効力が問題になります。  カーペット・クロスの張り替え、ハウスクリーニング等は、借主が通常に使用している限り、通常損耗の回復費用であり、この費用を当然に借主に負担させることは借主に不当な負担を負わせるものと言えます。  この点について、多くの裁判例では、同様の特約の効力を制限的に解釈しています。例えば、特約を借主の故意・過失による毀損、通常でない使用方法による劣化等についてのみ回復義務を認めたものであると解釈しています。本件に当てはめれば、借主の故意・過失による毀損または特別な使用をしたことによる劣化を回復するため、カーペット・クロスの張り替えやハウスクリーニングが必要な場合にのみ有効な特約になると解釈されます。
近時、最高裁判所は修繕特約の適用について、さらに厳格な判断を示しました。最高裁判所は、「建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは、賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから、賃借人に同義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」と言う。)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である」と判示しています。
 それでは、本件建物賃貸借契約書には、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が具体的に明記されているといえるでしょうか。この点、前記最高裁判決の事案では、契約書の一部を成す負担区分表において、補修の対象物を記載する「項目」欄、当該対象物についての補修を要する状況等(以下「要補修状況」という。)を記載する「基準になる状況」欄、補修方法等を記載する「施行方法」欄及び補修費用の負担者を記載する「負担基準」欄から成る一覧表によって補修費用の負担基準を定め、このうち、例えば、「襖紙・障子紙」の項目についての要補修状況は「汚損(手垢の汚れ、タバコの煤けなど生活することによる変色を含む)・汚れ」とし、退去者が補修費用を負担するとしていました。この内容について原審(大阪高裁)が明確と評価したのに対し、最高裁は、「要補修状況を記載した「基準になる状況」欄の文言自体からは、通常損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとはいえない。従って、本件契約書には、通常損耗補修特約の成立が認められるために必要なその内容を具体的に明記した条項はないといわざるを得ない。」と厳格な判断をし、通常損耗補修特約の成立を否定しました。このような最高裁の厳格な判断基準に照らすと、本件の修繕特約は、カーペット・クロスの要補修状況については全く記載がなく、ハウスクリーニングについては施行方法についての記載もなく、通常損耗を含む趣旨であるか否かについてあまりに抽象的かつ不明確であり、修繕特約の成立を認めることはできません。また、本件では口頭での通常損耗補修特約が明確に合意されたという事情もありませんので、特約の成立を認めることはできません。 従って、あなたは修繕費用を負担する必要はありません。

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