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所在地:大阪市天王寺区生玉寺町 青蓮寺内
最寄駅:地下鉄谷町線「四天王寺前」下車、北西約150M、
大阪女子学園正門前 |
竹田出雲は芝居の座元の子として1691年(元禄4年)に生まれた。竹本座の経営に加わったのが僅か15歳であったという。当時は耳で聴く浄瑠璃から、目でみる人形遣いに向かいつつある時期でもあり、その時流をうまくとらえ、今日の人形遣いの形をつくった。
人形芝居の興行師 の一方、青年時代から近松門左衛門に 師事し、文筆の面にも才能を発揮、合作も含めて40篇近い脚本がある。「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」(いずれもが合作)は今日も上演される傑作である。1765年(宝暦6年)65歳で没した。
人形浄瑠璃の歴史の中て代表的人物として「太夫は竹本義太夫」、「作者の近松門左衛門」と共に、「興行師の竹田出雲」が並び称される。
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[参考資料] |
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「青蓮寺」は天王寺区生玉寺町にある。門前には「竹田出雲墓所.碑」が建っている。 |
境内にある竹田一族の墓(一段高い台座の上にある)。出雲の墓は台座の上の手前から2番目、墓石には「文明院松立顕居士」と彫られている。その奥は彼の父親の墓。
この墓は元は生国魂神社の神宮寺であった法案寺の塔頭遍照院にあったが、遍照院と医王院が併合し青蓮寺として、現在地に移転したのに伴い、墓も移転された。 |
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