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所在地:大阪市天王寺区逢坂1丁目
最寄駅:地下鉄堺筋線「恵美須町」下車、国道25号線東へ約500M、一心寺向かい |
当神社の創建の年代は詳らかでないが、聖徳太子が四天王寺を建てた頃(約1400年前)であろうと伝わる。祭神は少彦名神と菅原道真を祀る。境内は天神森あるいは安井森とも称され、景勝地であった。
901年(昌泰4年)菅原道真が筑紫に左遷され、その途中、河内道明寺の叔母を訪ねる道すがら、篤信家の道真は四天王寺に参拝した後、この安居神社で休息したと伝わる。
当時の村民が道真をなぐさめるため、もち米を蒸して乾かした「おこし米」を差し上げたのが、後の大阪名物『おこし』の始まりという伝承も残されている。大阪の「粟おこし」の共同商標に菅公の梅鉢紋が使われているのはこの故事によるものだそうである。
江戸・寛政8年(1796年)発刊の『摂津名所図会』に載っている道真が「ここに、暫時やすらひ給ふ故」から安居の名が起こった説や、かって四天王寺の僧侶が結夏90日の間、安居した「安居院(あんごいん)」からきているといった説がある。
境内は真田幸村が大坂夏の陣で戦死した地と伝えられ、石碑が建てられている。
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[参考資料] 『安居神社由緒書略記』 安居神社パンフレット
『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社 |
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安居神社の南側の参道は国道25号線を挟んで一心寺の丁度向かい側(北側)にある。 |
木々に囲まれ、都会の真ん中に在ることを感じさせない静かなたたずまいの本殿。 |
境内の一角にある「真田幸村戦死の碑」。この碑は1919年(大正8年)井上福松という人が建てた。
1615年(元和元年)大坂夏の陣で、幸村はこの神社の近くにある天王寺茶臼山に陣をしき、徳川家康と対峙し、敵の本陣を追い崩したが、家康の首を取るに至らず、ついにこの地で戦死したと伝わる。
神社の入口にある「真田幸村
戦死の碑」。 |
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境内の一角には、古くより「かんしずめの井」と呼ばれる清水が湧き出る井戸があったが、周辺の開発の余波で、現在は枯渇状態になっている。 |
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[2003年11月8日参拝] |
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