|
所在地:交野市私部1丁目
最寄駅:京阪交野線「交野市」駅下車、東へ700M
|
当社は旧私部村の産土神で、近郷近在の崇敬が篤い神社であるがその創建年代は詳らかでない。
江戸時代には当社内に宮寺現光寺があったが、明治の初めに廃寺になっており、その場所は現在は社務所となっている。
私部村には宮座が7座あり、時代とともにこれら宮座の家にも興廃があり、村内の無量光寺が所蔵する文書には、1700年(元禄13年)公式行事での拝殿の前の着座順序を巡って争いが起きているのが記録されている。
このとき、各宮座の年寄りたちが談合の上、宮座構えの図(着席順の図)と5か条の定め書(出座できる資格者をきめた)を作成し、現光寺に収め紛糾を避けている。この宮座も明治の初めに廃止されている。 |
住吉3神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)と息長帯姫命(神功皇后)は航海安全の神様とされるが、内陸の交野市にこれら4祭神を祀る神社は磐船神社(私市)、郡津神社(郡津)、星田神社(星田)、天田神社(私市)、若宮神社(私市)など多くあり、交野市内には住吉神社は他にもう1ヵ所ある(寺)。この理由については『交野市史』では、「古代この地では物部氏が勢力を伸ばし、村々では物部氏の祖神饒速日命を祀っていたが、太古より崇敬されていた磐船神社の巨巌が、饒速日命降臨の船形に似ているところから、これをご神体とする村々の総社と崇めた。中世になって、これが海神の住吉4神に付会されるようになり、天野川沿岸の村々もこれにならって住吉4神を祀ることになった。」としている。
また、交野市歴史民族展示室で伺ったところでは「物部氏が蘇我氏に滅ぼされたのちは饒速日命を祀ることがはばかるようになり、これを表向きに隠すため物部氏の流れである津守氏の奉祭する住吉4神を祀った」という説もあるようだ。
|
[参考資料] 『交野市史』 交野市編
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
|
通りに面して建つ大鳥居。高さ2丈4尺(約7.3m)
この鳥居は1860年(万延元年)に建てられた。
それ以前の(文政8年)に建てられた鳥居が大風で倒れたので、氏子が総出で私部山より運び再建したもの。
先の阪神淡路大震災にもビクともしなかった。 |
|
|
住吉神社拝殿(右の写真)と本殿(左の写真)。
本殿は住吉造りではなく春日造りであるのは江戸時代に奈良春日神社の旧殿を譲り受けた。
拝殿の前の広場には天正年間(1573~92年)から宮座の位置を決めた根石が埋められているとのことである。 |
|
境内末社の「乾神社」。
八幡大神、恵美須大神(交野戎)、菅原大神の3神を祀る。この社は2001年(平成13年)に再建された。 |
|
|
境内末社には上記の3神以外に天照大神、金毘羅大神、稲荷大神、高オカミ大神、市杵島姫が祀られているが、
神社名の表示もなく、稲荷神社以外はどの神がどこに祀られているのか、よく分からなかった。 |
|
|
境内には明治から昭和の初めにかけての、土地や債券などの高額寄進者の碑がいくつも建てられている。 |
|
|
|
[2008年2月25日参拝] |
|
|