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大圓山長久寺 所在地:大阪市中央区谷町8丁目
最寄駅:地下鉄谷町線「谷町6丁目」下車、谷町筋を南へ
谷町7丁目交差点西に入るすぐ
当山の縁起は、1579年(天正7年)豊臣秀頼の武運長久を祈るため淀君の命で、片桐且元並びに大野修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立。開山は中正院日長聖人である。
1712年(正徳2年)本堂を除き殆どの堂宇が焼失したが、宝暦(1751〜64年)、明和(1764〜71年)
年間に復興した。
 その後盛衰興廃があったが、戦前・戦後の数度にわたる道路拡張・都市計画により、境内の大半が縮小され現在に至っている。現在の本堂は1963年(昭和38年)の完成で、鉄筋コンクリート造りである。
 淀君が建立し、400年近く維持されてきた本堂、大門等は奈良西之京・薬師寺に移され、現在は慈恩
院として活用されており、その他、淀屋辰五郎が寄進した客殿は奈良・樫原市の愛和之道本部に、鐘楼は茨木市・妙徳寺に、妙見堂は池田市・本養寺に、小門は能勢・安隠寺に移築、現存しているとのことである。これらのことから、当院の最盛期での規模の大きさが伺うことが出来る。
尚、境内の墓地には赤穂浪士の1人である、原惣右衛門の墓がある。

[参考資料] 『日蓮宗 長久寺』 長久寺パンフレット
長久寺ビル全景



お寺の外観はオフィス街でよく見かけるビルの様である。






長久寺ビルの前に建つ「お題目」の石碑

 通りに面して「南無妙法蓮華経
 」の大きな石碑があり、お寺で
 あることがわかる。
どこかの会社の事務所に訪問する気分で玄関のドアを開けるとチャイムが鳴る。 長久寺玄関
長久寺境内の手水鉢 墓地の一角に置かれている手水鉢。大きさは長辺が約2M、短辺約80CMの非常に大きいものである
正面にはお寺の山号の「大圓山」の刻があり、側面には「文政4年正月」(1821年)及び寄進者の名前が彫られている。
ご朱印
大阪七福神めぐり
長久寺朱印
[2004年1月10日参拝]

寺院-053/TTL-122

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