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史 跡
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お千代・半兵衛供養墓へ
近松ゆかりの地へ



お千代・半兵衛の墓 所在地:大阪市天王寺区生玉寺町
最寄駅:地下鉄谷町線「谷町9丁目」下車、生国魂神社正面鳥居前の道を南へ約200m右手にあり
1722年(享保7年)4月6日、大坂油掛町の八百屋半兵衛と妻お千代が生玉の大仏勧進所で心中した。この心中事件は、直後に紀海音が「心中二つ腹帯」、近松門左衛門が「心中宵庚申」(いずれも浄瑠璃)に、又「新板宵庚申」(歌舞伎)に脚色した。特に「新板宵庚申」は大当たりし、そのため、世上に広く知られた心中事件となった。お千代は24歳で身ごもっていた。
・近松門左衛門の世話物最後の作品
1722年(享保7年) 「心中宵庚申」(しんじゅうよいこうしん)
八百屋の養子半兵衛は、もと武士の子。姑と折り合い悪い女房おちよが夫の留守中、勝手に離婚されたことを知り、連れ帰るが、姑の手前、家に入れられず。板挟みになって夫婦で心中する。

銀山寺 宝樹山銀山寺の山門。
当寺の墓地には、お千代・半兵衛の墓のほか、江戸時代始めの頃の俳諧師岡西惟中夫妻の墓や江戸時代後期の蘭学者松本寛吾及びその子乾知大塩平八郎門人)などの墓がある。
墓石には「一蓮托生 声応貞現信女/通月融心信士/離身童子」と刻まれている。この「離身童子」は身ごもっていた子供のことであろう。 八百屋半兵衛、お千代の墓

史跡-020/TTL-149

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