ナバホ(北アメリカ南西部)とチベット(中央アジア)は、地球のほぼ裏側という位置関係にありながらも、極めて類似性の高い霊的な文化が展開しました。この土地は、まったく隔絶していますが地理的な共通点がみられます。世界地図上で見ると、ナバホとチベットはほぼ同じ緯度上にあり、片方は北アメリカ大陸のほぼ中央、片方は中央アジアの中心部にあり、高原地帯の砂漠であるという点で両者ともに土との結びつきが深い民族といえます。また、人種的に見て同じモンゴロイドであるという説があります。
そういったナバホとチベットの類似点に、アメリカの学者ピーター・ゴールドが注目し研究しました。彼は「場所」というものの不思議さを感じさせるところにその特徴がある、と考えました。また、神話学者ジョーゼフ・キャンベルも両者を、「同じイメージとエナジーを持った、ふたつの異なる文化」と述べています。
砂絵の文化を述べるにあたり、ナバホとチベットという隔たった場所で、類似した特徴を持つ砂絵の本質を探りたいと思います。
ナバホの砂絵
米大陸南西部のネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民族)ナバホ族には、病気などを治療する儀式が存在します。英語で「チャントchant(詠唱)」と訳されています。砂絵は、治療の際にメディスンマン(医師の役割を果たす祈祷師)が行うこの儀式の一部に属し、重要な役割を果たします。
●ナバホ
ナバホ族は、はるか昔カナダの北西部に住む狩猟民族でした。元々はアパッチ族と同じ種族であったとされています。そこから南下する時期が異なることによって、ナバホとアパッチは別々の種族に分かれていきました。
ナバホは14世紀頃、現在の場所アリゾナ州やニューメキシコ州に到達したといわれています。その頃は、トウモロコシの栽培と狩猟で生活を営んでいましたが、17世紀に入って、スペイン人から馬や羊、山羊の飼い方を習い、第二次世界大戦後の頃まで遊牧の生活をしていました。それから、人口が増えたこともあり定住して羊を飼うようになりました。現在では一般の定職に就く人のほうが多くなっています。
ナバホ族の世界観では、この世に住む生きものは、「地表に住むもの」と「聖なる存在である超自然の力をもつもの」とに分けられて考えます。それらがバランスよく保つことを、彼らの言葉で「ホッジョー(調和)」とよび、生活の基本となっています。 病気を含むすべての災厄は、ホッジョーの乱れとし、その回復のためチャントの儀式を行います。
●チャントの儀式
ナバホの「チャント」は、準備から、お祓い、パフォーマンス、片付け、器具材料まで、決められた秩序に従って執り行われる儀式全体を称します。
チャントは英訳されている名称で、その意味は、歌や唱歌、節をつけて繰り返し唱えること、または、シュプレヒコールのことをいいます。チャントでは、詩のフレーズを繰り返し歌います。
ナバホのチャントの特徴は、シャーマニズムに基づいて執り行われるものです。シャーマニズムとは、シャーマンと呼ばれる特別な能力を持った人物を中心に行われる宗教現象です。シャーマンは特殊な憑依状態において、超自然的存在と直接的に接触、あるいは交渉などできる特徴を持ち、その過程において、ト占、予言、治療、祭儀などが行なわれます。
シャーマンのなかでも、病気の治療に従事する人をメディスンマンといいます。チャントではこのメディスンマンがチャンター(歌い手)として中心となり、祭式が進行します。準備から終了までの行事は、1日から場合によっては9日にかけて行われます。
ナバホのチャントは、主要なもので20から25の種類のものが存在します。その儀式に使われる砂絵は、400から500点存在します。砂絵は、チャントの中で、その祭式をとりおこなうチャンターが、自分が知っている絵の中から4点選び出し、チャンターと助手4人から12人ほどの人数によって描かれます。
●ホーガン
チャントは、ホーガンという伝統的な場所で行われ、砂絵もその中に描かれます。現在、多くのナバホは現代的な住宅に住んでいますが、従来、このホーガンという住居に住んでいました。ホーガンは、男性二人で建てると三日で完成することができる住居です。これは、かつて遊牧生活をしていたことに由来するもので、定期的に移動するための造りになったとされています。直径20〜30センチの丸太と積み上げて。半円形のかまくらのような形をつくり、その表面に赤茶色の土を被せ、ストーブの煙突用の穴を天井に開ければできあがりです、夏は40度、冬はマイナス20度という寒暖の差が激しいナバホの土地に適した住居であるといわれています。
ホーガンは「男ホーガン」と「女ホーガン」があり、「男ホーガン」が、祈りや歌、計画を立てるときの儀式などをするところで、チャントもここで行われます。「女ホーガン」は従来、寝食などの日常生活をする住居です。現在、建てられているホーガンのほとんどは女ホーガンで、土地とお金に余裕のあれば、住居とは別にして建て、大切な儀式のときに使用しています。
チャントが行われる「男ホーガン」は、直径およそ7〜8メートルの大きさで、東側に扉があります。儀式が行われるとき、東側の扉から約2メートルの地点に小さな砂山が築かれ、ダウンフェザーのついた杖をいくつか突き刺さします。小山の上に、様式に則ってビーバーの皮とカワウソの皮を置き、そのそばには、うなり板(ブルローラー,Bullroarr)の弦をきちんと巻きつけて置きます。ホーガンの扉には、木綿と毛布の2重のカーテンをかけ、内部を薄暗い状態にします。
●ナバホの砂絵
砂絵は、チャントという複合儀式の一部が視覚化されたものです。儀式の中で、砂絵は精霊が降臨する場所と考えられています。儀式後は永続させてはならない神聖なものとして、チャントの行事の最後に掃き消されます。砂絵作成にかかる時間は、その儀式に使われる歌によって日数が違ってきます。5日間の形式のものもあれば、9日間のものもあります。
砂絵は、儀式が始まる準備段階の中で描かれます。砂絵が描かれる前に、最初にトウモロコシの花粉を指で摘んで、天地、東西南北に振り撒きます。それから、床にしかれている砂を2、3センチの厚さにならし、そのあと、大量の自然色の砂(黄褐色が、ピンクがかった黄褐色)を持ち込み、70〜90センチ四方に約
2センチの厚さに広げ、砂絵の下地となる砂の塊ができます。
砂絵は7色の天然の砂(赤、青、黄、白、黒、ピンク、濃茶)を用いて描かれます。描き手たちは、人差し指と中指に必要な砂を少量つまみ、親指で細かく砕きながら線を描いて完成させます。
チャンターは絵の前、すなわち東側の席に座り、患者は上半身裸になり、絵の北側に設けられた自分の席につきます。チャンターがリードする歌に、助手である男性コーラスが楽器で調子をとりながら加わり、それに伴われて、患者は胸、背中、腕、肩、足、そして顔にボディ・ペインティングされていきます。絵の具は、天然の材料で水彩絵具のようにまぜて水に溶かせて用いられます。儀式の最後に、砂絵に描かれた神々の身体の図形から、身体のそれぞれの部分の砂を取って、患者の身体の、それと適合するそれぞれの部分に押し付けます。それによって、神との合体によって霊力を得るとされています。
すべての祭式は日没前に終了します。患者は戸外に導かれ、そこで「太陽」のもとで4回呼吸し、衣類を着ます。この間、助手たちは聖なる砂をかき集め、4つの袋に分けられて運び出します。そして、1袋ずつチャンターが示した方角に向けて配置されます。
●砂絵の象徴的な要素
ナバホの砂絵には、偉大な治癒力を発揮する精霊が宿るとされています。そこには、ナバホの神話に基づいたモチーフが描かれます。トウモロコシ、聖なる山、聖なる人、虹などが図案化されたもの、他に哺乳類、鳥、爬虫類、昆虫、動物の足跡、稲妻などがあります。砂絵は、このようないろいろなモチーフの複合体によって構成されています。各部分、描かれる色や数、また構造全体にも象徴的な意味があります。絵の構成は、何種類かのモチーフから成っており、構成を変化させながら何度も繰り返して組み合わされています。それぞれの組み合わせと組み替えを通して日常性を超える効果を得ています。
配置について、一般的に2つの方法があります。ひとつは、南から北にかけて並んだ長い像の列を用い、絵の周囲の三方である要素を取り囲んで、残りの開かれた東側には通常2つの要素(動物か物)が開口部を守護している配置です。開口部は東に設けられますが、周囲をぐるりと取り囲まれてしまう絵の場合は、北東になります。
もうひとつの配置は、中心に絵の地理的な設定(山、湖、水、家)が表現しているものです。チャントや絵や神話にとって、位置は祈祷用の杖や歌や治療道具の包と同じくらいに重要です。中心には数多くのバリエーションがあり、その周囲には、ギリシャ十字の形をした図像が配置されることもあれば、絵がさらに凝ったものもあります。また、他のいくつかの要素が聖アンドレ十字の形に配置されることもあります。これら2つの配置には、共通点として絵を縁どる要素があります。また、東には2体の守護者が配置されています。また、モチーフの構成において、4という数字が重要であると見られています。
ナバホの砂絵は、人間像、動物、植物、日常の生活用品、様々な自然現象が描かれています。特に自然の現象の表現は、非常に高度な伝統的手法で描かれています。ナバホ族の手引きを持たない者にはいったい何を表しているのか認識できません。
●近代医学と原始的治療
メディスンマンの病気の治療は、心身一体の考えを持ち、その点においては東洋医学に類似しています。近代医学のように、心と体を明確に分ける考え方をしません。
エレンベルガーは著書「無意識の発見」で、ナバホの治療例の一つとして、「外から侵入してきた何ものかを取り出す」という治療があると述べています。そして、「トリック」という方法を用いることによって効果を発揮することが多くみられといいます。。二つ目に「行方不明になった霊魂を取り戻す」という宗教性が関係したものがあります。3つ目に「侵入した悪霊を払う」という憑依状態からの回復、4つ目にタブーを破った時の懺悔、5つ目に呪術によるものがあるといわれています。
このような古くからある治療法に対して画期的な変革を行ったのが、ヨーロッパ近代に生じてきた近代医学です。東洋医学に対して西洋医学と呼ばれています。
近代医学は、近代科学を範として生まれてきましたが、その根本にある方法論的な特徴は、心と体を明確に区別したことにあります。シャーマニズムの場合は、心と体の区別はなく、病気はすべて一括して考えられています。
「ナバホの治療儀式では、患者が神々や村落共同体と和解するのはもちろんだが、それだけではなく、この段階を追っての和解が宇宙起源説をはじめいろいろな神話の再演によって実現するのがミソである。さらにナバホ族は豊富さにかけて並ぶもののない芸術、音楽、詩、舞踏など高度の文化的営為に恵まれた部族で、この治療にもそれらが不可欠の構成分となっている。それは、これだけは現代の精神療法に対応物がまったくない一種の“美による治療”である」エレンベルガー
チベットの砂絵
チベットは、中央アジア・インドの北側、ヒマラヤ山脈を望む高地に位置しています。チベットの砂絵は、仏教のマンダラ図を表したものです。チベット仏教は7世紀前半にインドから伝わりました。また、仏僧をラマと称することもあり、ラマ教とよばれることがありました。インドで仏教が衰退してからも、インド仏教はチベットで独自の発展を遂げ、現在のチベット仏教の形が作られました。チベット仏教の砂絵は、その儀式の中で修行として描かれます。
●チベット仏教
チベットの仏教は、日本では一般に「チベット密教」と呼ばれることもありますが、「チベット密教」とは便宜上に使われる名称であって、チベットの仏教はタントラ仏教とされています。「タントラ」の意味は、サンスクリット語で経典の綴じ糸を意味し、インドの後期密教の経典そのものを示す語として用いられてきました。密教を総称して「タントラ」あるいは英語表現として「タントリズム」(tantrism)と呼ばれることもあります。日本でいわれる密教という名は、真言宗や天台宗を示す日本仏教内部の名称として使われたもので、チベット密教と言われるのもその流れであると思われます。
チベット仏教には、様々な宗派があります。主な宗派は4つの宗派で、ニンマ、サキャ、カギュー、ゲルク(カダムを吸収)を四大宗教流派と呼んでいます。ダライ・ラマはゲルグ派に属し、ゲルク派が現在では最大の宗派とされています。
チベット仏教では、宗教的な真理を伝えるために絵画による表現をとります。絵画表現は瞑想する者にとって手助けになりと考えられています。修行の中で、砂絵マンダラが作成される儀礼があります。
●マンダラとは
日本においては通常、マンダラは仏教の世界観を描いた絵画などを示した図として知られています。マンダラ(曼荼羅)という言葉はサンスクリット語(梵語)のmandalaに由来するものです。「仏教の本質を象徴するもの」と訳されます。マンダラは、仏の悟りの境地である宇宙の真理を表す方法として、仏・菩薩(ぼさつ)などを体系的に配列して図示したものをいいます。約1500年前、インドを起源とし、ネパール、チベット、中国などに伝えられました。日本には空海たちによってもたらされました。マンダラは、世界と心が元来同じものであることを体験するための道具として存在するとされています。
また、広義の解釈として仏教以外においても、「マンダラ」という名称を用いることもあります。近代的な用法では、絵として描かれた円や輪、なにか丸いものという意味を持ち、世界や宇宙を意味する言葉として用いられることもあります。
●チベットの砂マンダラ
古来インドでは、諸神を招く時、土壇上に円形または正方形の魔方陣、マンダラを色砂で描いて秘術を行ってきました。インドからチベットへ仏教が伝わり、現在ではチベット密教の一派で、マンダラ地儀軌を砂絵で描く修行があります。浄めの準備儀礼から始まり、神の座としての砂絵マンダラの制作が描かれ、解脱のためのプロセスが行われる修行です。マンダラの儀式は、阿闍梨(アーチャーリヤ)と呼ばれる師である僧侶が中心になって執り行われます。この儀式の砂絵作成の期間は、4日間の場合もあれば9日間、1ヶ月かかることもあります。マンダラを作る場合、清浄で快適な場所が選ばれます。土の色や成分が吟味されます。そして、尊師である阿闍梨が壇上で執金剛(仏法を守護する夜叉神)であることを観想して地を浄めます。
つぎに、土地の主、その地域の精霊、神、仏、菩薩に、大地の女神に対して、マンダラを作成することと儀礼のために土地を提供してもらうことを、願文と供物によって了承してもらいます。そして、いったん地神に退出することを乞います。地面の準備ができたら、四角いマンダラの場(マンダラが描かれる平面や木の板)が作られ、複雑なプロセスからなる浄化が始まります。阿闍梨は基壇を巡り、諸魔を払います。同時に砂絵を描く地面の四周に金剛くい(ヴァジラキーラ)を十本打ち、結界をつくり諸魔の進入を防ぎます。
それから、阿闍梨と5人の弟子を中心に砂絵が作られます。まず墨打ち道具で基本線をひき、阿闍梨が再び登壇して、阿伽水(仏教でいう聖水)を加えたあと勧請の準備をします。供物を供え、この仏座にそれぞれの尊格(仏様)たちを呼び寄せるために、マントラ(真言)を唱えます。すでに想像のなかで生み出された虚空に建立されたマンダラが呼び出され、台の上に広がるマンダラに溶け込み、ひとつのマンダラになります。
さらに五色の糸によって五色紐を作ります。この五色の糸に五智如来がしみ込むとされて
います。この五色の糸は、阿しゅく如来の黒青、大日如来の白、宝生如来の木、阿弥陀如来の赤、不空成就の緑をさし、砂絵の五つの色砂と同じ意味を持ちます。この智恵の糸である 五色紐でもう一度墨打ちして供養礼拝して砂絵の成就を願います。それから、色砂に祈りをこめてマンダラの彩色にはいります。元来は宝石や貴石のような鉱物を用いるべきですが、今日では白い岩石を砕いて着色して用います。先の細い筒状の棒に顔料を入れ、筒棒の側面のギザギザを他の棒でこすって先端からすこしずつ色砂を落としていきます。阿闍梨がまず東北の角から少し描いた後は、器で蓋をして、続いて弟子たちが中央部から彩色していきます。
彩色が終わると、顔料の色砂を供養し、五智如来の自性を招き入れ、壇上の顔料にしみ込んで一味となって威光が増すように観想します。こうした作法の後、マンダラの上に覆をした上で阿伽水・トルマを供えます。僧侶たちが息災と増益を願って護摩を焚きます。諸尊がマンダラによく住してもらうよう善住(ラブネー)の儀式が行われます。最後に作壇作法に従事した阿闍梨たちも儀式に加わり、諸尊の降臨を念じて沐浴します。
善住の儀式が終わると阿闍梨はマンダラの覆をはずし、三回右遶して東方に立って合掌します。花弁を指にはさんで、諸尊の還りを願って散華します。金剛杵で破壇し、その顔料の色砂の一部は望むものに分け与えられ、残りは竜神の池に流されます。この儀式の終わったのち、村人は池の水を瓶に入れて持ち帰り、それぞれで壇をふきます。さらに結界をといて諸魔を打ち付けて金剛くいから開放します。
●チベット 砂マンダラの種類
砂マンダラは、招引する如来によって描かれる図が何種類か存在します。今日では、日本でも真言密教の寺院がチベットから僧侶を招き、砂マンダラの儀礼を行い法要するようになりました。そして、一般の人に公開する機会ができました。よって、本来なら残されざる存在であり秘儀であった砂マンダラの儀礼が写真に納められ、HPサイトでも見られるようになりました。
図1は、観自在菩薩砂マンダラで、すべての衆生が救済されるようにと世界平和の祈りをこめて法要されたものです。図2は、薬師瑠璃光浄土砂マンダラで、現在世界中で起こっているさまざまな病い、疫病に苦しむ人々が病から癒されて、すべての衆生が未来において健康な生活がおくれるために祈りをこめて法要されたものです。
図3は、怖畏金剛砂マンダラです。怖畏金剛(ヴァジュラバイラヴァ)はすべての仏の智慧の象徴であり、文殊菩薩が死神を滅ぼすために変化した念怒尊であり、チベット仏教の最奥義である無上ヨーガ・タントラの三大本尊、秘密集会(グヒヤサマージャ)、勝楽(チャクラサンバラ)、怖畏金剛(ヴァジュラバイラヴァ)のひとつです。仏の叡智による死に対する圧倒的な勝利を表し、最強の尊格とされています。
チベット仏教には、カーラチャクラという聖典があります。カーラ(時間)チャクラ(存在)は、「時輪」と訳されます。チベット仏教の最奥義である無上ヨーガ・タントラの代表的な聖典とされています。「ヨーガ」とは、健康法のヨーガとして知られているのが一般的ですが、それを含めてインド発祥の心身制御のテクニックや修行法のことをいいます。ここでいう「ヨーガ」は、瞑想による精神統一や、解脱、魂の神への結合を実現する実践大系を示します。カーラチャクラのマンダラ儀礼は、瞑想のプロセス全体に死と再生のアナロジーが含まれています。チベット仏教のいうマンダラには、外的な世界を表現したもの(宇宙)、人間の身体に関する瞑想上の見解を示すもの、尊格のヨーガを実修するときに観想されるものがあります。また、神と自分との一体、宇宙との一体を瞑想し、輪廻からの解脱という修行を目的にします。
カーラチャクラ・マンダラの持つシンボリズムや基本構造は、他のマンダラと異なります。カーラチャクラ・マンダラのなかの楼閣を取り囲む円は、宇宙の構成要素です。五つの大きな円は世界を支えるもの、すなわち「虚空」「風」「火」「水」「地」です。東が黒、南が赤、西が黄色、北が白、中央が緑と青というマンダラ内部の彩色方をとります。また、黒は不空成就、赤は宝生如来、黄色は大日如来、白は阿弥陀如来、緑は阿しゅく如来という配置になり、これも他のマンダラと配置が違ってきます。
カーラチャクラ・マンダラの儀式は、灌頂という儀式が執り行われます。灌頂は予備的な修行を終えた弟子に、密教の僧侶たる資格を与えるものです。カーラチャクラ・マンダラのこれらの儀式は、ダライ・ラマが唯一執り行える人物です。
ナバホとチベットの砂絵の共通点
ナバホとチベットの砂絵には、儀式の中で描かれるもので、神や精霊や仏が降りてくる装置として作成されるという共通点があります。また、秘儀であるという特徴を持ち、儀式の後は取り壊し消されてしまいます。これらの砂絵は、修行した者だけに受け継がれていくものとして存在しています。
●ナバホとチベットの砂絵の比較
ここで、ナバホの砂絵とチベットの砂絵の特徴をまとめてみます。両者とも儀式の一部として砂絵が存在し、装置として扱われます。両者とも秘儀として受け継がれていくものであり、師から弟子に受け継がれていきます。ナバホでは描き残されることは禁止されているので、師の助手をしながら少しずつ覚えていきます。したがって、メディスンマンによって扱える砂絵の範囲が違ってきます。チベットの砂絵は、マンダラを描く方法は厳密に定められています。砂絵以外に、絵画が数多く存在し手本書があるようです。
大きな違いは、ナバホの砂絵が、病気治療という民間の生活に密着したものに対して、チベットの砂絵は仏教の法要に属し僧侶達の修行の一環でもあり、民間の暮らしのうえで直接馴染みのない存在であるということです。また、ナバホの砂絵はその土地でしか行われないのに対し、チベットの砂マンダラは、チベットの地以外でも執り行われることがあります。チベット仏教の広がりは、チベット国内の政治的情勢が原因で、多くのチベット仏教の僧侶が海外に亡命しているためだと思われます。また、チベット仏教は、日本の仏教と違って論理的な考え方を持ち、それが西洋文化圏の人に受け入れられやすいといわれています。
近年、日本において、ダライ・ラマによる砂マンダラの法要の一般公開がありました。また法要目的ではなく、チベットの僧侶を日本に呼び寄せ、美術館で砂マンダラを制作するイベントが催されることがあります。このような現状を見ると、チベットの砂マンダラの儀礼は、秘儀といわれるものではなくなってきているように思われます。
●共通する基本図
ナバホとチベットの砂絵は、使われる背景は違いますが、人類において普遍的なものとして考えられる共通点があります。
アメリカの霊的人類学者ピーター・ゴールドは、異なる文化の霊的側面に注目して研究しているうちに、ナバホとチベットというまったく隔絶した場所に、極めて類似性の高い霊的な文化が展開したことに強い関心を抱きました。
ナバホにとってもチベットの人にとっても、「自己と宇宙の一致」ということは、重要なテーマとしています。これをイメージとして示している基本的な図が左のマンダラ図形です。この図を基本とした図が両者の文化の中に表現されています。
小円と大円と、それを結ぶ斜めの十字。この図形はいろいろに解釈され、また具体化されています。大円はまさに自己と宇宙の一致した理想の状態であり、「それは『美』であるにしろ『空』であるにしろ」とピーター・ゴールドは記していますが、それぞれはナバホとチベットのその理想状態を呼ぶ言葉です。名前は異なるにしろ、同一のことを示しています。
これに対して、小円は現実の状態で、それが四本の線によって大円につながっている。この二つの円をつなぐ線は、心的エネルギーや知恵を示し、結局のところ、小円と大円は一致すると考えられています。
このようなマンダラ図形の重視は、現象の「全体性」と「調和」の尊重を示しています。この書物には、ダライ・ラマがメッセージを寄せていますが、そのなかで彼はナバホの人もチベットの人も「自然と調和して生きる」ことを大切にしていると述べています。ナバホでは調和のことを「ホッジョー」といい、その考えは彼らの生活の基本的なものとされています。このような「ホッジョー(調和)」を尊重する姿勢には、天と地、男性と女性などの要素がすべて調和し、うまく均衡することが狙いとされています。
チベットの聖典、「カーラチャクラ(時輪)」の考えも、仏と自身、宇宙と自身の一体化を目指しています。ナバホとチベット両者とも「自己と宇宙の一致」という共通点があり、人類の普遍的な思想としてこのような図が存在するのかもしれません。
現代のアメリカでは、チベット仏教やアメリカ先住民が認識されるようになり、その知恵に学ぼうとする人が多くなってきたといわれています。近代文明以降、急速に発展を遂げ、人々の暮らしは目まぐるしく移り変わっていきました。現在の生活様式は、便利になるためのものが、そのために多忙になっていくという悪循環を生み出しています。また、多大な情報量と目まぐるしい進歩に翻弄され、文化においてけぼりにならないかと疲れてしまうのが現状です。その中で「心」というものが取り残されていき、人々は癒しを求めチベットやナバホの教えに注目するようになるのではないでしょうか。
【参考文献/引用図版】
猪熊博行著「風の民 ナバホ・インディアンの世界」社会評論社 2003.10
河合隼雄著「ナバホへの旅 たましいの風景」朝日新聞社 2002.5
フランク・J・ニューカム画「ナバホ『射弓の歌』の砂絵」美術出版社1998.11
色川大吉編「チベット・曼荼羅の世界――その芸術・宗教・生活」小学館 1989.3
頼富本宏著「すぐわかるマンダラの仏たち」東京美術 2004.11
マルティン・ブラウエン「図説マンダラ大全――チベット仏教の神秘――」東洋書林 2002.9.10
文殊師利大乗仏教会 HPサイト http://www.mmba.jp/index.html
Gold, Peter 「Navajo & Tibetan Sacred Wisdom The Circle of The Sprit 」Inner Tradition 1994
西上青曜著「図解マンダラのすべて」PHP研究所 1996.2
立川武蔵著「マンダラ ─ チベット・ネパールの仏たち ─」千里文化財団 2003
河野亮仙著『儀礼と芸能のアルケオロジー』「チベット・曼荼羅の世界」小学館 1989.3
久武哲也著『砂絵の文化誌−その機能とイメージの比較−』「イメージと文化」甲南大学総合研究科1991.12
菊地東太著「パウワウ アメリカン・インディアンの世界」新潮社
|