曾良庵の事 | ||
曾祖父・祖父・父と自由律から俳句へと代を変えはしたものの、それぞれの才能はいろいろに変化しながら花咲いた。その時代時代に一世を風靡した人物との出会いが、作り出したものと言える。 | ||
一太郎 | 自由也 | ひでを |
河合曾良の名跡を継ぎ、雅号曾良庵を名乗る。 | 一碧楼・碧梧桐等と交友し、俳句を詠む。 | 父に高校時代から誘われ、作句。草田男氏に師事、萬緑の同人となる。 |
自由也の世界 |
焼き物・彫り物・篆刻など造形の深かった祖父であるが、特に作品の多いものを載せることにした。 | |
焼き物 | 彫り物 | |
各地から土を取り寄せて、自宅の窯で焼いていたというものは芸術的でもある。 | 天壌無窮は祖母の叔父である中村不折の文字である。祖父がそれを彫っている。 |
憲治の世界 |
大叔父である憲治はわずか32歳でこの世を去っているが、その絵は短期間に情熱を持って書かれている。新聞のコラムに掲載された絵にその才能を見ることができる。。 | 長野日報に《守矢憲治》の作品が取り上げられた長野日報へのリンク。 | |
色紙・短冊類 | 政治・世相漫画 | 諏訪の名士の原画 | |
色紙・短冊と分けてあるがこれは世相にも似たもので、風俗とでもいうのだろうか。人々の暮らしがわかる。 | 当時の政治風景を辛辣に風刺したものや世相が見えるものなど、新聞に掲載されたかはわからないが今見ても面白い。なかなかだと思うが・・。 | 諏訪の名士18人を南日に昭和4年9月4日から11月18日付の「家庭漫訪」「人物月旦」のコーナーに掲載。 |