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7/10(月) 友人に紹介してもらったピアノの先生の、一回目のレッスンは今週末である。モーツァルトのソナタ K.331(全曲)を持っていく予定。というか、今は、それしか弾けないし(笑)。 しかし、実は、今月は、ピアノのレッスンだけでなく、翌週に、歌のレッスンと発表会があるのだ。わかめは「浜辺の歌」と「ママも知るとおり」(カヴァレリア・ルスティカーナ)を歌うのだが、まあ、歌はいい。所詮、専門じゃないわけだしな。問題は伴奏で、今回は「フィガロの結婚」(モーツァルト)から2曲と、「アデライデ」(ベートーベン)と「鱒」(シューベルト)を弾く。なぜか、古典派ばっかり(笑)。 はっきり言って、自分のモーツァルトに専念できる状況ではない。今も、伴奏を4曲練習したら、情けないことに、手が痛くなってしまった。あははは。(<もちろん、笑い事ではない。) しかし、そうも言ってはいられないので、取り合えず、明日の伴奏合わせが終わったら、ピアノのレッスンに向けてがんばります。 あ、ちなみに、今日更新した今週の楽語 animando は、「ママも知るとおり」で使われていたので、調べたついでに。animato と似てるなあ、と思ったら、やっぱりどっちも animal(英)が語源らしい(つまり、意味も同じ)。 7/27(木) バタバタしていたら、すっかり報告が遅れてしまったが、久しぶりにピアノのレッスンに行ってきた。S先生は大変良い方で、わかめの怪しいモーツァルトを丁寧にご指導くださり、非常に勉強になりました。 結論は、やっぱり、モーツァルトは難しいってことで(笑)。 というかね、わかめは、モーツァルトってものは正確なテンポで音質に注意して弾くもので、情感を込めた演奏はしないと思い込んでいたんだ。で、もともと音楽性が有り余っているわけではないわかめさんは、どうしてもこういう曲を弾くとドライな演奏になってしまうのだな。 しかし、情感を込めた表情豊かな演奏=ショパンみたいなロマンティックな表現、ではないのだ。モーツァルトには、モーツァルトの表現方法がある。感情をストレートに表現するようなロマン派の音楽とは違って、一つ一つの音に感情を込めるような演奏が求められるわけだ。 しかし、困ったことに、モーツァルトの楽譜は、初見でもそれなりに弾けるくらい簡単である。こういう曲の場合、音符を見た途端、条件反射的に指が動くので、深い考察をしないままに弾いてしまうことになる。この点が問題で、音楽に感情を載せようとする気持ちが抜け落ちた状態でも、なんとなく弾けてしまうことが、音楽的に演奏することを、かえって難しくしているのである。 レッスンは、こういった内容で、何十年振りかで弾いたモーツァルトの音楽の輪郭が見えたような気がした。気はしたが……。あー、難しい。モーツァルトを弾くということは、指の訓練ではなく、精神修行ですな。 ええと、毎年10月に友人たちとやっている秋の勉強会に、今年は歌ではなく、なんとピアノで出ることになりそうで、今から焦っている。曲は、今さんざん難しいを連発した、モーツァルトのソナタK.331である。 感情のこもらないつまらないモーツァルトにならないよう、できるだけ、がんばりたいとは思っているんだけれど、まずは暗譜ができるかが心配。ははは。 10/2(月) 皆さん、お久しぶりです。ええと、日記を書かなかったのは、音楽的な生活を送っていなかったからではなく、音楽的な生活に追われていたからです(笑)。 今年も、健康教室でピアノを弾くお仕事を頼まれたので、唱歌やら映画音楽やらショパンのノクターンやらを練習をしたり、10月半ばの友人たちとの勉強会で、以前の日記にも書いたとおり、モーツァルトを弾くことになってしまったので、その暗譜をしたりと、珍しくピアノ三昧の生活である。 それから、音楽会に行かないわかめさんが、9月は珍しく、コンサートに3回も行った。サイトウキネンオーケストラとか、ダン・タイ・ソンのピアノリサイタルとかね。 そんなわけで、すっかりご無沙汰していますが、元気にしています。急に寒くなってきて、暖房器具が恋しくなってきましたが、皆さんも風邪など召しませんよう。 10/27(金) 健康教室のピアノ演奏と毎年10月にやっている友人たちとの勉強会が無事終わったので、恒例の演奏会レポートを。 健康教室のほうは、今年で3回目なので、ちょっと楽しんで弾けるようになった。というか、わかめも、自分のピアノを人に聴いてもらうことが嬉しいと思えるようになったのだな。曲を自分なりに表現できるようになったってことだと思う。 というわけで、勉強会のほうも、以前なら人前で暗譜でピアノを弾くことなんて苦痛以外のナニモノでもなかったのに、ホールでピアノを弾くことが、なんとなく楽しみな気分にさえなっていた。 しかしね、わかめは、手が痺れて以来、人前で暗譜でピアノを弾くのは5年振りなのだよ。右手は一年前よりはコントロールできるようになったけれど、まだ痺れているし、完璧に暗譜してあるはずの曲なのに、間違えたこともないところで突如わからなくなって止まるという過去も(数知れず)あるし、モーツァルトは、音大の受験曲で弾いて以来なので、不安がないわけでは、もちろんなかった。その上、今年の勉強会は、なんだかすっかり演奏会の様相を呈していたのよ。お客さんがね、5、60人もいらしてくださって、ギョー! って感じ(笑)。 わかめの出番は、第2部の2番である。曲目はモーツァルトのソナタK.331(トルコ行進曲付き)。 今まではピアノの本番前には、一週間も前から胸のあたりがもやもやと嫌ァな感じがしていたのだが、今回はそんなこともなく、前日も平常心で過ごし、当日も、リハーサルで暗譜を忘れたにもかかわらず、それほど動揺しなかった。この会には、去年やその前は歌で出たのだが、確かにその時は、あんまり緊張しなかった。しかし、今回はピアノなのだゾ。こんなに緊張しなくて大丈夫なのか? 本番前にあがらないと、ステージに出た途端、富士山のてっぺんまで急上昇したり、ピアノを弾きはじめた途端、月まで舞い上がってしまうことがあるので、ヤなんだよな。 それでも、第1部が始まると、さすがにもやもやした気分になり、落ちつかなくなってきた。自分が何を弾くのかさえ忘れそうになる。友人たちの演奏を聴く余裕など、もちろんない。 ドレスに着替えて、控え室の中をうろうろ。第1部が終わって休憩になったので、ステージそでに移動する。その途中で、知り合い多数(と言っても7名だが/笑)に遭遇。ますますヤバイ気分になる。 そうこうしているうちに、第2部が始まる。1番の歌が終わり、いよいよわかめの番がきた。 ステージに出て、礼をして椅子に座る。椅子の高さが低かったので、2回も直して座りなおす。もやもやしてはいたが、あがっている気がしない。大丈夫かも、と思ったが、全然大丈夫じゃなかった。なんと、弾きはじめの位置で迷う。あれ? ここだっけ? それとも、1オクターブ下? なんてな。しっかりあがってるじゃん(笑)。 それでもなんとか正しい位置から始めることができ、テーマが無事終わる。実はテーマがいちばん心配だった。だから、テーマを間違えずに弾けたことで、ひとまずホッ。引き続き雲の上にいるような気分で、Var.1、Var.2と進む。 ここまで、ミスタッチさえないじゃないか、と驚いていたら、次の短調の変奏(Var.3)で、左手を忘れて焦る(さっさと次のフレーズへ進み、なんとかごまかす)。この変奏は、練習では一度も間違えてなかったから、心配していたんだよね。やっぱり、本番というのは、そういうところで間違うものだよ。 まあ、しかし、一つ間違えたことで逆に落ち着き、自分なりのモーツァルトを表現することに集中できるようになった(ということにしておこう)。気分は、相変わらず雲の上だったんだが、一応、微笑みながら弾けたしな。 Var.4を無事クリアし、Var.5のアダージョも、充分歌った(つもり)。そして、最後のVar.6 アレグロは、いつも2小節目で躓くのだが、さらっと弾け、前半の最後で、スピートが少し速かったせいか左手の音が浮いたけれど、全体的にはまずまずのデキ。 第1楽章をうろたえずに弾き終えたことで、少し余裕が出たのか、第2楽章も上手くいった。あ、決してノーミスだった、とは言わないよ。でも、2、3、怪しい音を弾いてしまった時も音楽をなくさず弾き続けられたので、わかめとしては上出来ですよ。 さて、いよいよ問題の「トルコ行進曲」。実はね、前日、2フレーズ目で左手の音がわからなくなるという有り得ない間違いをやらかしていたので、非常に心配だった。 弾き始めて、ヤベ、ちょっと速かったかな、なんて考えたが、初めてしまったものは仕方ない。前日に止まったところを無事通過したのでホッとしたが、それもつかの間。2ページ目(全4ページのうち)の真ん中あたりで、左手の音がわからなくなり、うろたえる。ところが、弾きなおそうかと思ったのに、なぜか右手は勝手に次のフレーズのアウフタクトを弾いてしまっている。もう、先へいくしかないじゃないか、と焦って左手を動かす。結局、暴走した右手のおかげで、一瞬妙な間が入ってしまったものの、止まらずにすんだ。いつもはあっちこっちに飛びまくってしまうコーダも、ちゃんと楽譜どおりに弾けて、最後の和音にたどり着いた時は、ほんと、気持ちよかったですよ。 いやあ、もうね、復帰第一戦でこんなに上手くいっちゃっていいの? てなもんですよ。大きなミスをしなかったってこともだけど、それ以上に、ステージで音楽を表現できた(自分としては、ね)ことに達成感を感じてる。 ピアノが弾けなかった間、歌でステージに立ったり、マリンバの伴奏をさせてもらったりしたことが、わかめにとっては、すごくプラスだったと思う。それから、なんといっても「数多く弾く」ことは大事だよね。結局、いままで失敗していたのは、わかめの場合、練習が足りなかったってことだな。 あとね、暗譜すると楽譜から自由になって音と直接向きあえるってことと、ソロって伴奏とは全然違うものなんだってことを、改めて感じた。誰かと一緒に音楽する喜びと、一人で自由に音楽する喜び。皆さんも、いろいろな音楽する喜びを見つけてくださいな。 ようやく、ピアノを弾くことが純粋に楽しくなってきた。そんなわけで、サイトよりピアノに夢中なので、更新がちっともできないのだけれど、それがあるべき本来の姿なのだと思っていただけたら幸い。 11/30(木) 10月のステージが終わってから、次は何を弾こうかと楽譜を引っ張り出して、うきうきしていたんだが、自分のピアノよりも、やらなきゃいけない曲が山積みであった。 12月には、ピアノ教室のクリスマス会がある。まあ、これは、今年は「トルコ行進曲」で決まりでしょう。その一週間後には、午前に合唱サークルの発表会、午後は歌の会の勉強会があり、合唱曲2曲と歌4曲の伴奏して、歌も2曲歌わなければならない。それから、そろそろ来年4月のピアノ教室の発表会の講師演奏(2台ピアノ)の練習も始めないといけないし、イトコ(ピアノの先生)が2台ピアノで出演する予定なので、そっちの曲も見なくてはならない。 と思っていたら、7月にピアノのレッスンをしていただいたS先生が、1月にいらっしゃるという連絡が。さて、いったい何を弾けばいいんだろう。というわけで、2日ほど前から、「英雄ポロネーズ」を練習している。なぜ「英雄ポロネーズ」かというと、一年前に、ちょっとだけ譜読みしてあったから(笑)。 ざっと弾いてみたが、譜読みはなんとかなりそうだ。だが、問題はそこじゃなくて、この痺れている右手で、最後まで弾ききることができるかってことなんだよね。夏は、モーツァルトがやっとだったし、寒くなると指に力がはいらなくなって、和音がちゃんとつかめないのだよ。 しかし、他に思いつく曲もないので、取り合えずリハビリのつもりで、ちょっと練習してみるよ。 ということで、半年ぶりの今週の楽語は、「英雄ポロネーズ」から maestoso を採用。ついでに、壁紙も冬バージョンにしてみました。 12/26(火) 12月の演奏は、二勝一敗であった。 ピアノ教室のクリスマス会で弾いた「トルコ行進曲」は、練習ではあちこちアヤシかったのだが、なんと生徒の前ではバッチリ。ところが、合唱の発表会では、前奏でミスをしてしまい、穴があったら入りたいというのはこういうことかと思い知った。トホホ。やっぱり、本番は何があるかわからないね。過信していたつもりはないんだが、やっぱり、どこか緩んでいたのかもな。気を付けよう。 気を引き締めて臨んだ午後の歌の勉強会では、歌も伴奏も上手くいって、ほんとにホッとした。 最後はいろいろと波乱があったけれど、この一年、わかめは進化したように思う。いちばん今までと違うのは、ステージでピアノを弾くことが楽しいと感じられたことだ。「音楽する」ことができれば、演奏するのは本当に楽しい。というわけで、来年も、がんばります。 今年の更新はこれで終わりです。皆さん、良いお年を。 |