なにげない日記(抜粋) 2000年4月・5月

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 2000年3月 /  2000年6月・7月


4/10(月)
 「ワルトシュタイン」はなんとなく行き詰まっていてダメっぽかったんだけど、昨日一昨日といろいろ刺激になることがあって、またがんばれそうな感じ。それにしてもピアノを弾くってことはイメージすることだって再発見したよ。練習していてもずっとピンとこなかったんだけど、ちょっとふっきれた。今週末にはまた伴奏の仕事があるし、今週はピアノに燃えることにする。(ホントか?)
 なので、また日記はサボってしまうかも。ごめん。
 その代わりというわけではないんだが、「今までの今週の楽語一覧」を密かにアップ。あんまりおおっぴらにするのも心配なので、隠してしまった。トップページより行けますが、どうしてもわからない人はメール下さい。よく見ればわかると思うけど。(どこを?)
 楽語の数は今まで「今週の楽語」に載せた分だけなので多くないよ。一応辞典風に、アルファベット順にしてあります。


4/11(火)
 午前中、伴奏の練習を40分、発表会の2台ピアノの練習を40分、お遊びでショパンの「ノクターン」と「革命」を少々。それから「ワルトシュタイン」を15分やったところで、左手の親指側の筋がちょっと痛くなってしまったので、休憩している。ちょうどお昼だしさ。
 これしきの練習で手が痛くなるなんてなんと軟弱な! と思ったんだけど、もしかしたらオクターブのグリッサンドを練習したせいかも。いやー、「ワルトシュタイン」の終楽章の最後にさ、出てくるんだ、オクターブのグリッサンドが。絶対グリッサンドで弾かなきゃダメってわけじゃないので、わかめも「オクターブのグリッサンドぉ? なんじゃそりゃ」ってな気分だったんだが、できたらちょっと便利かもって思いなおして、少し練習することにしたんよ。土曜日に、知り合いにオクターブのグリッサンドのやり方を教わったのでさ。でも、できるようになる前に、親指の爪がボロボロになるかも。
 さて、楽語ファンの方々、「今までの楽語一覧」は発見できたでしょうか。ヒントを書いておきましょう。入り口は「今週の楽語」のそばです。この件に関しては、今後はお知らせはしないつもりです。「今週の楽語」が更新されるたびに「今までの楽語一覧」も増えていくことになるでしょう。数が多くなりすぎたら考えますが、まあ、今のところは50個くらいまでならいいんじゃないかと思ってます。


4/13(木)
 伴奏と2台ピアノの練習を優先してしまうと、自分の練習(ワルトシュタイン他)をやる時間が取れない。ピアノの練習以外にもすることはあるし(たとえばパソコンで遊ぶとか(笑))、今日も明日もお出かけの予定があるのでますます時間がないのだ。
 でも、自分の練習を優先させてしまうと、今度は伴奏と2台ピアノのほうが練習できないじゃん。伴奏は今週末だし2台ピアノのほうだっていよいよ仕上げ段階に入っているから、あんまりボケたこともやっていられない。となれば、そっちを先に練習するしかないわけで。
 え? PCの前に座っている時間を削ってピアノを弾けってか? そんなにまでしてわかめが練習すると思うかね? へっへっへ。


4/25(火)
 ずっとテンションが低かったので気付かなかったのだが、我に返ってみると、結構忙しいのであった。ずっとボケていたので、掃除もしなけりゃいけないし、発表会が迫っているので、講師演奏の曲も子どもたちの伴奏もちゃんとチェックしておかねばならない。美容院にも行かねばならないし。
 その上、伴奏のお仕事がまたあって(5月半ばだが)、新しい曲を何曲かやることになっているので、その練習もしなければならない。その中の一曲は14ページもある。長いのは別にいいんよ。ただ譜めくりが困るってだけで。
 それで、また楽譜のコピー&切り貼りをしなきゃなんないのさ。でも、休符が中途半端で、これってどこでめくるんだよ〜、ってな感じで、どうやって切り貼りすればいいのかわからない。ってことは当然いつまでたってもめくりの練習はできないのさ。
 わかめ、ピーンチ! (なんて言ってないで、ちゃんと考えろよな。)
 あ、曲は好きですよ。その14ページのヤツね。「アルペジョーネ・ソナタ」(第1楽章だけね)なのよ。曲が頭の中をぐるぐる回るくらい好きだよ、わかめは。ただ、譜めくりがね。(まだ、言ってる)
 しかし、「アルペジョーネ・ソナタ」をフルートでやるとはちょいと驚きましたよ。チェロとかヴィオラってのは聞いたことありましたけどね。これって、もしかして常識とか言わないよね? 


4/27(木)
 「今週の楽語」を更新しましたが、もしかして、最近わかめは手を抜いているんじゃないかとお疑いの方々、当たりです。でも、ma だって e だって、大事な楽語の仲間だと思うよ。


5/1(月)
 発表会も無事に(?)終わりました。いつものことだが、発表会当日は時間との戦いですな。ホールは時間を区切って借りているので、その時間内にちゃんと終わらないとマズイんだよ。今回は実はちっとだけ(5分くらい)オーバーしてしまったんだが、特にお叱りの言葉とかはなくて、ホッ。
 生徒たちはそれなりに健闘していた。わかめもちょっとうろたえた場面もあったが、終わってしまえばもう、なんでも良しだよ。へへへ。
 で、昨日から8連休に突入してます。
 伴奏のほうも、ちゃんと切り貼りして練習を始めた。でも、4/28の日記でもお知らせしましたが、5/2〜6は遊びに出掛けるので、その間は練習できなくて、やっぱりピンチなのには変わりないんだが…。


5/9(火)
 午後、伴奏合わせで、フルートのNさんがうちにやってきた。2時間弱合わせて、結構調子よくできたので、「アルペジョーネソナタ」とその他4曲くらい、新しいものを採用することになる。まだちょっとヤバイんだけど、土曜日までにはなんとかなるだろう。
 そのNさん曰く。「〇〇さん(わかめのこと)、弾き方変わりました?」
 そんな覚えはないので「全然」と答えたのだが、ここ2、3回、リキまない楽な感じなので演りやすいと言う。伴奏の仕事は今年は今度のを入れて3回目で、去年はなんと1回しかなかった。ってことは、つまり、わかめの弾き方は一年前と比べてちょっと変わってきたってことか? 
 そうなると、思い当たるフシがないこともない。
 このサイトを立ち上げる前から、脱力については結構気にしていたし自分でも理解できている気でいた。ピアノを弾く基本は脱力だから、弾いている時もわかめはもちろん脱力しているつもりだった。けれど、それは表面上のことに過ぎなくて、演奏している時に本当の意味での脱力を実感したのは、このサイトを始めた頃だと思う。それで「音楽のお勉強」の「脱力」のシリーズを一生懸命書いたような気がする。
 それまでは、腕の力を抜くとか肩の力を抜くとか部分的だったものが、身体全体が脱力できている、身体の芯から無駄な力が抜けてるって感じなのだ。もちろん、いつもいつもそんないい状態でいるわけじゃないんだけど、そういう感覚が、それほど意識しなくてもできるように定着してきたのかもしれない。(この身体全体の脱力のポイントは首、肩、背中という辺りだとわかめは思う。)
 ま、そういうわけで、ちょっといい気分だったので、思わず日記に書いてしまったよ。
 単に、伴奏慣れしてきただけかも、という話もあるが…。


5/10(水)
 掲示板過去ログも膨大になってきたので、少し整理すべきなのかもしれないが、どういうもんでしょうか。
 新しくこのサイトを訪問してくださった方々の中に全部の過去ログを読もうと思う方がいるとは思えないけど、もし読もうと思っても、やっぱりやめたくなる量になってしまったと思う。わかめはこのサイトを初めた時には掲示板のログはとらないつもりだった。でも、流してしまうには惜しい内容もあったので、つい「もったいない」病が出て拾ってしまったんだよ。
 今考えているのは、2.3ヶ月分はフルに残して、それ以前のものはだんだん音楽関係の話題だけに整理するという案なんだが。


5/12(金)
 「音楽のお勉強」の「玄関」に妙な「先生の選び方」をアップしているからだと思うのだが、わかめはメールなどで、自分(あるいは自分の子ども)の先生に関する質問を時々いただく。
 中には、どうして先生がこういう行動をとるのか、疑問に感じている方も多いようだ。
 一昔前のように“先生は絶対だ”なんて考えている方はいないだろうけど、はっきり言っておこう。先生だって同じ人間なのだ。間違えることもあるし、調子の悪い時もあるし、機嫌の悪い時もある。
 ということで、ピアノの先生の行動についての考察、その1

 まず、わかめのことを少し。
 レッスンしていると、ある一人の生徒に対して、先週は注意すべきことが何も浮かばなかったのに、今週は注意すべきことが山ほど出てくる、ということがある。誤解のないように言っておくけど、先週は上手くて今週は下手になっているということではない。先週はまだしっかり弾けていなくて「もう少し練習してきてね」と言うことしかできなかったのが、今週は練習してきた結果、音楽やテクニックがより鮮明になってきていいか悪いかがはっきりわかるようになり、それに対する指摘がしやすくなるってことなのだ。
 つまり、「一応は弾けている」という程度の曲の仕上がり方では、どこを具体的に注意していいのかわからないのだ。音楽に対する、その曲に対するわかめの感性が、全然刺激されないのだよ。

 音は合っている。もちろん、いくつか違っていればそれを注意する。リズムも特にノリがいいわけじゃないけど、間違ってはいない。スラーやスタッカートもそれなりには表現している。指遣いが変ならそこを直すように言うけど、生徒はあまり気にしていないように見える(わかめは指遣いに対しては異常にしつこいが)。
 こういう弾き方でも、1小節ごとに止まったり弾きなおしたりしていれば、「片手で練習しよっか」とか「ここの4小節だけ練習してみようね」などと、やることがないわけではない。
 しかし、止まったり弾きなおしたりする箇所がそんなに多くない(ほとんどない)場合には、生徒だってそこそこには弾けているという自信があるだろう。でも、上手くない。絶対上手いという領域ではない。でも、何が悪いのかと訊かれると、具体的には答えられないんだ。
 強いて言えば、全体がまとまっていない、その曲を弾き込んでいない、指が曲に馴染んでいない、ってことなんだけど、そういうことって、全然具体的な答えじゃないよな。
 で、仕方なく「じゃあ、もう少し弾き込んできてね」と言うことになる。こんなわかめって、ダメな先生だろうか。
 で、さっきも書いたように、次の週にちゃんと弾き込んできた生徒には、一つ一つの音質から曲のイメージに至るまで、言いたいことがどんどん湧き出てくるのだが、やってこない生徒は、いつまでもそのままだ(つまり、もっと練習してきてね、どまり)。で、結局、上手くならないまま、〇になる(諦める)。

 自分では上手く弾けているつもりなのに先生は注意らしきものは何も言ってくれず、かといって〇にしてくれるわけでもない、とお悩みのあなた。もしかしたら、こういうことかもな。(って、もしかして、わかめだけか?)

 この続きは来週。


5/15(月)
 伴奏のお仕事が終わったので、自分のレッスンのための練習をしようと思ったら、指がナマッていて全然使い物にならないじゃあないか! 伴奏っていくら弾いても生ぬるくてさ。指を動かしているって実感がないからな。
 仕方ないので、指を動かしている〜って感じの、練習曲やら昔弾いた曲やらを30分ばかりやったら、少し感覚が戻ってきた。よしよし。
 しかし、その後は時間がなくて、結局練習できなかった(意味ないって)。

 さて、先週の続きの先生の行動についての考察、その2
 ピアノのレッスンというのは、普通は、練習してきた曲を先生の前で弾いて、音やリズムの間違いを直してもらったり、指遣いを注意されたり、アーティキュレーションを直されたり、強弱や曲想の付け方やテンポの変化やイメージを教わったり、手の形や腕の使い方が変なら注意されたり、特殊な奏法の場合は具体的にやり方を教わったり、先生の(模範)演奏を聞いたり、曲の形式や歴史的背景を説明されたり、作曲家についての薀蓄を聞かされたり、先生の自慢話を聞かされたり…。
 あ、ごめん。だんだん普通じゃなくなってたぜ。ハハハ。

 また、わかめのレッスンのことを少し。
 ピアノのレッスンに行くと、音やリズムの間違いは直されると思うが、わかめは、明らかに間違っている音は「違うよ」というけど、本人もしっかり音がわかっていないような場合には、言っても無駄だから(本人が間違っていることを認識できないから)注意しない。ちゃんと(?)間違っている場合だけ指摘する。
 指遣いは音の間違いと同レベルだと思っているし、アーティキュレーションも、単にスラーやスタッカートの問題なら音の間違いと同じ扱いだ。
 もっと微妙なテクニックは曲想と同じレベルになるけど、これは本人の曲への近づき方次第だと先週書いたから、いいよな。
 手の形や姿勢や脱力などについては、レッスンしている時に気付けば、つい、注意してしまう。曲想を練っている時は、さすがにやらないけど。
 で、その他(上に書いてあることを指しているわけではない)のことは、時間があって、かつ生徒に興味があればしゃべりまくる。
 さて、わかめのことはこのくらいにして、やっと本題

 ピアノのおけいこに通っていても、音とリズムの間違いくらいしか注意されないとか、もっと脱力や腕の使い方を教えて欲しいのに何も言ってくれないなど、物足りない感じがすることがあるかもしれない。
 そこで今回は、教えるべきだと思われることを先生がなぜ指摘しないのかについて、考えてみよう。

1.家庭で練習がきちんとできているので、先生は注意することがない(つまり、音以外は完璧に弾けている)。
2.まだ小さいので(もちろん子どもの場合)、気になることはあるが、注意するのが早すぎると判断している(骨格がきちんとするのは10歳過ぎなので)。
3.まだ習いはじめたばかりなので(あるいは他の理由で)、気になることはあるが、指摘するのが早すぎると判断している。
4.曲の弾き込み方が足りなくて、指摘すべきレベルに達していない。(12日の日記参照)
5.先生に、ピアノのテクニックに対する知識や技術がない
6.知識はあるが、注意するのが面倒
7.ピアノのおけいこは、音の間違いだけを直していればいい、という方針である。あるいは、音の間違い以外には興味がない

 どうかなあ。こんな感じで。少しは疑問が解決しただろうか。
 わかめに思いつくのはこのくらいだが、どなたかもっと斬新な意見があったら、掲示板へよろしく。


5/19(金)
 久し振りに日記をマジに書いたら(5/12 15分)エネルギー不足になったようで、ここ数日ボケていた。このところ頭を使って文章を書いてなかったのでさ。久し振りにきちんと筋立てて人に自分の考えを伝えようとしたら、頭が沸騰したようだ。
 その上、今週と来週は暗譜週間。ワルトシュタイン第1楽章の暗譜にかかっているので、音符が頭からはみ出ている。考えてみたら、わかめは正月からワルトシュタインを弾いている。既に5ヶ月近く弾いているって気付いてボーゼン。いったいこれまで何をしていたんだろうか。恐ろしい。
 で、いきなり、午前中、超マジメに2時間も練習してしまった。
 10月末に演奏会があるので何を弾こうか考えていたのだけど、「ラ・カンパネラ」にするかとふと思って、ちょっと弾いてみた。今まで何度となく譜読みで挫折していたんだが、今日はすごくいい感じだぞ。わかめったら、体質が変わったんだろうか。
 てなわけで、しばらくカンパネラに挑戦する予定。といっても、ワルトシュタインの暗譜のほうが優先だけどな。


5/25(木)
 今日は、余裕を感じさせる演奏の仕方について。
 皆さんは、ひとの演奏を聴いていて、妙にせかせかとせわしない印象を受けることはないだろうか。取りたてて速いテンポという訳じゃないのに、なぜか忙しく感じるということが。
 これは拍子の取り方がせわしないからそういう風に聞こえるのだ。
 どういうことか具体的に説明しよう。
 何の曲でもいいので弾ける曲を一曲用意する。いつも自分が弾いているテンポで、4分音符を一拍にとって弾いてみよう(たとえば4分音符=80など)。同じテンポのままで、次は8分音符を一拍として弾く(つまり、カウントは倍の速さになる。8分音符を160に合わせる。ちゃんと8分音符を一拍に感じること)。それから次は、2分音符を一拍にとる(2分音符=40)。
 すると、みんな同じテンポで弾いているのに、8分音符で細かくカウントした時がいちばん忙しい感じになって、2分音符を一拍に感じた時は余裕のある弾き方になる。(なるよね?)
 つまり、できるだけ長い音符を一拍と感じて弾けば、せかせかせずなめらかな印象になるのだよ。できるなら、1小節を一拍とか2小節を一拍に感じて弾けるほうが、より音楽的に聞こえる。もちろん、大きなフレーズのことだけを考えて細かな音符をいい加減に弾くということではないぞ。
 一音一音手首を振って弾くと音楽的に聞こえない、というのは、こういうわけなのである。(それだけじゃないだろうが)
 自分の演奏には余裕がないのでは、と不安なあなた。4分の4拍子の曲でも、2分音符を一拍に感じて弾くというのはどうだろうか。練習の回数が同じでも、このことを意識するだけでグッと余裕のある音楽的表現が可能になるハズ。発表会で余裕のある演奏をしたい方は、当日だけでなく、毎日の練習で拍の取り方を意識しておかないと上手くいかないこともあるので注意するように。

 補足
 まだ音が把握できていないとかリズムが正確に刻めないとかスムーズにメロディが流れないとか感じるうちは、細かくきちんとリズムを取ることのほうが大事だ。特に、拍を意識することに馴れないうちは、曲を仕上げる段階まではあまりこだわらないほうが、上手くいくかも。(もちろん、練習の途中でも拍を大きく取ることが重要になる場合もある。)


5/28(日)
 昨日はレッスンだった。「ワルトシュタイン」の第1楽章さえも結局暗譜できなかったので(だって、長いんだもん)、怯みながら、「カンパネラ」やりたいと言ってみた。そしたらあっさり「いいんじゃないか」とのお言葉。これで、心置きなく「カンパネラ」の練習に励めるってもんだ。(当然ながら「ワルトシュタイン」も引き続きやるのだ。)
 が! 真面目に練習を始めてみてガクゼン。
 この曲って、暗譜しないと練習できないのか? 楽譜を見ているといつまで経っても初見状態を脱皮できないような嫌な予感がするぞ。大丈夫か? わかめ。

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