There's a Boy in Here

Emerging from the Bonds of Autism

著者 Judy Barron & Sean Barron (共著)




書名訳: 「この中に男の子がいます ‐ 自閉症の桎梏からの解放」
初版 1992 年  新版 2002 年
出版社 Future Horizons Inc.
http://www.fhautism.com/
日本語未訳

自閉症を克服して、自立した社会生活ができるようになり、大学まで進んだショーン・バロン君と、その親ジュディーさんの共著。母親は克明な成長記録をつけていた。息子は抜群の記憶力で、幼少時のできごとまで克明に記憶していた。これをもとに、成長過程のエピソードを、親の視点と、自閉症児の視点、双方で語るという、ユニークな形式の伝記。スペイン語、ドイツ語、スウェーデン語など7カ国語に訳されている。日本語訳はまだない。

母親が気付いた最初の問題行動から、親類の反応、専門医の診断、学校生活・障害者施設での生活、妹との関係、思春期の恋愛まで詳しく、一般市民の目線で、率直に書かれている。ショーン君の書く、自閉症の側からの観察からは、自分の価値観を周囲が理解してくれないこと、コミュニケーションできないことへの苛立ちと、そのためどういう行動に出たのかを窺うことができる。

両親とも真摯な公立学校の教師で、妹は学業優秀な健常児。(ショーン君が高校に上がってから、両親は不況のオハイオ州北東部を離れ、カリフォルニア州で新たな職に就く。)

ショーン君が生まれたのは1961年。4歳で自閉症と診断されるが、「自閉症」という言葉は一般には知られていなかった。当時、自閉症心因説が有力だった。この家族の場合、妹の誕生を機に、母親の関心・愛情がそちらに移ったのが主因の精神的症状と考えられ、この説に沿った治療が一時試みられたが、あまり効果はなかった。(その他、時々の専門家の勧めに従って、リタリンという薬品の投与、ビタミン剤の多量服用なども試みられる。)

ショーン君は、10代に入って、相手を尊重する会話等、社会性を徐々に身につけて行った。親が、 Clara Claiborne Park 著 The Siege (1958年生まれの自閉症児の親による手記、日本語未訳)を読んだのが一つの転機となった。この頃から、「こういう子はうちだけではないのだ」と思うようになり、この本を参考に、両親が辛抱強く対話を続けたのが大きいようである。

成人したショーン君は大学に進学し、本書執筆時点では老人施設のリハビリ部門で働く傍ら、自由時間にはボランティアとして社会奉仕団体に勤めている。また、自らの体験について米国・欧州各地で講演を続けている。その後、ジャーナリストとなり、テンプル・グラディンとの共著で自閉症スペクトラム障害のある人が才能をいかすための人間関係10のルールという本も出している。日常生活に支障は感じなくなっており、自閉症は「治癒した」としている。ジャーナリストは、高いコミュニケーション能力を必要とする職業で、客観的分析や他人の立場の尊重が不可欠なので、これは過言ではなかろう。ただ、自閉症は多種多様なので、「自分の経験をだけを元に、子が自閉症と診断された親に過度の期待を抱かせたくない」とも言っている。

次のエピソードが面白い:

2歳を過ぎてもショーン君は言葉を話さず、喃語も聞かれなかった。ある日、何やら数のようなものを独りつぶやいているのが聞こえた。数日後、親子3人でパン屋で並んでいると、小さな声が聞こえた。

"Eleven-sixteen-thirty"

ショーン君は店のカウンターの上の時計を見上げていた。確かに、11時16分だった。この時、両親は「やっと言葉をしゃべったわ!しかも、時計の時刻を秒の単位まで正確に読んでいる!」と感嘆した。

両親は、これまで見られた、ショーン君の数多の異常な行為と結びつけてこの件を考えてなかった。


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