わが子よ、声を聞かせて

自閉症と闘った母と子

著者 キャサリン・モーリス  Catherine Maurice


 
     


原題 Let Me Hear Your Voice
訳者 山村宜子 (やまむらよしこ) 監修者 河合洋 (かわいひろし)
NHK出版 http://www.nhk-book.co.jp/
ISBN 4-14-0801864-7
1994年9月
(著者名は子供のプライバシーに対する配慮からの仮名)
ロヴァ−ス式行動療法を世に広めた書

インターネットで自閉症についての推奨書籍のリストがいくつか発表されているが、原書は英文リストでは常に上位に入っている。この本の著者は、母親のとして、自らの経験を率直に、具体的に記述していて多くの読者の共感を得ている。

この本はロヴァース博士の提唱する自閉症に対する行動療法的訓練の効用を世に知らしめたことで知られている。しかし、多くの障害児を授かった家庭がそうであるように、この本に登場する家族の道のりも決して平坦ではなかった。ロヴァース式行動療法は柱ではあったが、これ一つで全快したとは思われない。この本は、ロヴァ−ス法以前の自閉症治療の常識を打破するに寄与した、という方が正確な評である。

長女に異常な兆候が目立ち始めてより、症状の進行する様子を記述している。当時「自閉症」という言葉は一般に知られていなかった。母親は異常を察知していながら、それが何かはわからなかった。親戚や親友は「子供は成長のテンポが各自違うから、心配しないように。焦らないで見守りなさいよ」と言うばかりで、親としての孤独と不安は深まっていく。

長女が自閉症と診断されて後、著者は手当たり次第に自閉症に関する文献を入手しては読みふける。やがて、彼女は、抱擁療法というのに傾倒する。当時、自閉症は母親の愛情不足による精神障害との考えが専門家の間で信奉され、今日のように、脳の発達障害とは考えられていなかった。そこで、自閉症治療には、子供をしっかり抱擁し、親の愛情を伝えるとともに、カウンセリング等により、親に自分の人間的不備と向き合ってもらうのが良いとされた。はじめは抱擁療法を信奉していた著者も、次第に疑問を抱くようになる。

抱擁療法とともに、ロヴァース博士の行動療法も試みられた。行動療法とは、機械的な訓練の繰り返しから、思考やコミュニケーションを型にはめるかのように、訓練していくものである。自閉症児は大変な抵抗を示す。著者は親として、この訓練中泣き喚くわが子の声をとても聞いていられなかった、と言う。この方法の効果には著者は疑問を抱いていて、打ち切りにしようと決心しかけたところ、改善の兆しが現れた。

長女の自閉症に改善が見られた頃、次男の様子がおかしくなり始める。一山越えた著者にとっても、これは大変なショックであった。行動療法的訓練が行われ、やはり快方に向かう。

自閉症の原因である脳障害そのものは治らない。子供の脳は柔軟で、別の領域を発達させて障害箇所を迂回する回路が形成されるらしい。本書では、ヘレン・ケラーは視力・聴力を取り戻すことは無かったが、コミュニケーションは可能になったと、この現象を興味深い比喩で表現している。

批判の多い書

この本については、「二人の自閉症の子が、全快したというのは、ウソか誇張であろう」とか、「この本に登場する子供は自閉症では無く、医師の誤診があったのだろう」などと批判が聞かれる。これらの批判は少し行き過ぎているようである。「誤診」という説に対しては、著者は、診断が一人ではなく数人の専門医がそれぞれ独自に行ったものだと反論する。「全快」したことを疑う読者には、専門医の所見が掲載され、また、成長した子供の家族での様子が描かれている。

こうした批判が生まれるにはいくつかの要因が考えられる。「誤診」という見方がなされている事からは、広範・多様な症状が「自閉症」の名で括られ、診断も未だ確固としたものではなく、専門家の間で意見がまとまっていない事の表れとも取れる。

また、この本は、「自閉症は治る」と、実例を示しているので、自閉症の子を持つ親に過度な期待を抱かせ、その通りに行かないと落胆が大きいという意見もある。この本を一読すれば、この著者と夫、行動療法の実行に雇った大学院生が多大な努力を払っていることが判る。ここまでやれば、ヘレン・ケラーが盲聾唖を克服したように、自閉症も克服可能と思われる。

成功の背後に多くの要因

ここでは治療の柱はロヴァース式行動療法であるが、その他にも、多くの要因がある。

・母親である著者は大学でフランス文学を専攻していて、コミュニケーションや人の心理に対して造詣があった。
・著者の夫、子供達の父親は優秀な金融マンで、数字に強く、母親の不足をよく補った。医学論文を比較し、効果に科学的な裏付けがあるか、追究できた。
・両親共働きで共に高給で、数多くの専門家に診断を仰ぐことが可能だった。
・自閉症との診断が早期に行われたので、症状が悪化する前に手が打てた。
・両親ともに敬虔なカトリックの信者であった。それでいて、この人達は合理的な思考や行動を放棄して神秘主義に没頭する事は無い。人の為す所、常に限界のあることをよく意識し、善意の努力の及ばぬ所は神のお導きの有らん事を信じよう、という姿勢である。

自閉症教育にとどまらない書

この本は、自閉症・知的障害児の養育という限られたテーマの書と捉えるべきではない。自分の子供が自閉症と診断されるまで、「自閉症」について全く無知であった主婦の手によるので、医学や教育の専門知識が皆無の読者を想定して書かれている。著者はロヴァース氏流の行動療法の効果を認めながらも、制裁を重用する機械的な訓育のあり方に疑問を持ち続ける。これを元に、子供の躾一般についての論が展開される。

従来、この本は、行動療法は有効か否か、との単純な二分論の中で論じられて来て、この著者の高等教育過程と、宗教については、数多の書評も触れずに来た。著者は学生としてフランス文学の学習に、真剣に取り組んでいたようで、この経験は、自閉症児が生まれてからの対応においての、言わば「予習」となったようである。また、子供に対しては、平凡な愛情深い母親であろうと努めているが、対話する専門家や読者に対しては、文学論文で鍛えられた英語の表現力を駆使して来る。

もう一つ見逃せないのは宗教の力である。この家族は、世俗の塵埃の濃いニューヨークに置かれながらも、カトリックの信仰深い。しかし、それは、天に全てを任せ切りにする生き方ではなく、人のできることは、全力でし尽くした上で、それでいても人の力の及ばない所があることを謙虚に認める姿勢である。こうした態度のおかげで。著者夫婦は、僅かな希望を捨てずに励むことができ、また、専門家の権威に惑わされず、志篤い若者の努力の結実を待ち、その才能の発現を見守ることができた。

全編に、神に対しての祈りと感謝の連続である。祈りは予想できようが、この本は、特に感謝が多い。「この水をお造り下さって、ありがとう」「母子共々感動できる美しい情景をお造り下さって、ありがとう」「このような有能な若者を私達の許に遣わして下さって、ありがとう」等々。この神に対する感謝の念から、著者はこの本を記し、自分の経験を多くの人に伝え、とりわけ障害児を持って希望を失いかけている親への曙光としたかったのである。

日本にはキリスト教団体を母体とし、女子教育において評価の高い学校が知られている。こうした学校の生徒にぜひ勧めたい一書である。


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