世紀の空売り せいきのからうり

著者 マイケル・ルイス


     


原題 The Big Short: Inside the Doomsday Machine
原副題訳 「破局に向かう装置の内側」
訳者 東江一紀
日本語版刊行 2010年 9月 文藝春秋

2008年の金融崩壊を予見していた人達

この本はニューヨーク・ウオール街で金融マンとして働いた経験のある著者が、リーマン・ショックと呼ばれる2008年のサブプライム住宅金融市場の破綻について調査したものである。

サブプライム住宅金融市場の急膨張と破綻、それに関わった巨大金融機関について、数多くの本が世に出ているなか、異色の作品である。人物中心の描写であるが、金融機関や規制当局の要人は、ほとんど登場しない。それでいて、同類の他書を大きく引き離して面白い本との評価が高い。また、現代金融の複雑な取引をわかりやすく解説している点も評価されている。

著者は日本がいわゆる「バブル景気」を謳歌していた80年代、ソロモン・ブラザーズで働いた。一時期日本にも派遣されていた。著者の視点からウオール街の内幕を描いた「ライアーズ・ポーカー」はベストセラーとなった。興味深いことに、大学の専攻は美術史であった。コネで入社試験を受けさせてもらって入った証券会社だが、「先輩の口先をオウムのように真似て」営業成績を伸ばしてとんでもない高給を手にした。暴露本の成功後、彼はビジネス・ノンフィクション作家として活躍するが、ウオール街からは遠ざかっていた。

この本は、サブプライム住宅金融市場の崩壊を、数年前から予見し、その際利益が出る金融商品に投資をして成功を収めた人々に焦点を当てている。著者は最初、予見など果たして可能だったのかと、疑っていた。本当に予見していたのか。偶然や、結果を見てからの理屈ではないか。この疑問に答えるべく、著者は少数の人物を詳しく追跡している。

こだわりの強さが本質を見抜く

さて、本書が詳しく素性を追う人達には共通した特徴が見られる。お金大好きなのではない。頭が良いのは確かだか、どこか様子がおかしい。周囲の人達は奇行の数々を挙げる。突拍子も無く質問をする。人の目を見て会話をしない。同じ服を何日も着続ける。一晩でパソコンを分解して、朝までに組み立ててしまう、等々。

上に挙げたのは高機能自閉症、或いはアスペルガー症候群の典型的な特徴である。アスペルガー症の人達はこだわりが強いと言われるが、本書中の人々も例外でない。こだわりの対象が金融と、その背景の経済活動なのだ。期末報告の細かい活字を全部読まないと気が済まない。「こんな取引、一体どうして儲かるのか」「この価格水準は持続可能なのか」など追究し始めると、適当な回答では満足せず、執拗に関係者を追い回す。こだわりを貫き通した結果、彼らはサブプライム住宅金融市場の実態を見抜いてしまった。

高機能自閉症の処世術

自閉症と言えば、社会との関わりが困難になる障害と思われがちであるが、本書の人達は、対人関係に悩みを抱えながら、億円単位の資金調達をし、大手金融機関との取引関係の確立に成功しているような者である。出資者に対しては、運用戦略を理解してもらえるよう、説明する努力もしている。サブプライム住宅金融市場の矛盾を目の当たりにしつつも、見落としが無いかの検証もしっかり行っている。ここで大きな役割を果たすのが理解ある友人である。当人の個性をよく理解し、健常者との橋渡しを買って出る支援者達の活躍を、本書は具体的に描写している。

大学で美術史を専攻した著者は、金融について独特の視点を提供している。彼は、資金運用戦略の違いをあたかも画家の視点の違いのように解説してくれる。斬新な発案の張本人とその請け売りをする者の対比的描写もうまい。そして、著者は人が何か事を起こす際の動機を注意深く観察している。ウオール街では、成績次第で莫大な報酬が支払われるが、創造的芸術は単純な報酬目当てで生み出されはしない。

著者はアスペルガー症候群を意識して本書を書いており、歴史的な金融波乱と関わった結果、それぞれの登場人物がどのように人生を見直して行ったかについても、かなり紙数を割いている。

金融に興味ある人に勧めやすい本

アメリカで大いに話題になっているだけに翻訳はその年の内に出た。日本語訳を担当したのは、前述の「ライアーズ・ポーカー」の訳者で、障害についての専門家ではない。経済関係の書籍のほかミステリーも訳している。

この本は、金融に興味のある人になら誰でも勧められる。自分の資産の一部を株や外貨で運用するような人や、金融機関での就職を考えている者にとって、この本は必読書の部類に入る。自閉症に関係のある本として推奨する必要はない。

一方で、アスペルガー症と診断された子息をお持ちの親御さんや、その教育に関わる教師などにとって、このタイプの人達の社会貢献を詳しく知ることのできる貴重な本である。残念ながら、英語版には、わかりやすくない専門用語による表現も散見される。この本を入手したなら、金融に明るい人を招いて、勉強会を開くようにすると良い。良いアドバイスが得られた際に厚く礼するよう心がければ、自閉症を理解する人も増えよう。そして、お金について、信頼できる相談相手にも恵まれるだろう。

2015-16年 映画化

この本をもとにした映画が米国で制作され、2016年3月より日本で上映される予定である。

邦題:マネー・ショート 華麗なる大逆転
監督:アダム・マッケイ


注:書名にある空売り とは

株でも不動産でもカズノコでも、値上がりが期待できるなら、安い今のうちに買っておいて、高くなってから売ると儲かる。

反対に値下がりが期待できる時は、高い今のうちに売っておいて、安くなってから買い戻すと儲かる。しかしこの取引には重大な問題がある。自分が今、持っていない物を売るのである。株の場合、証券会社に頼めばこの取引の手配をしてくれる。持っていない物を売るので「空売り」と呼ぶ。

英語では何かを買って値上がりを待っているのを long position、空売りして値下がりを待っている状態を short position と言う。単に long, short と言う事が多い。

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