外務省が「竹島問題」に関する動画を外務省ホームページやYoutubeにアップロードしましたね。そこで、歴史のサイトである当ホームページも竹島問題について、ちょっとだけ・・・。
動画を見ていただければ、日本側の主張はある程度、理解できると思いますので補足程度に説明いたしますね。
江戸時代 |
日本は竹島を漁業を通じて領有権を確立。 |
1905年1月 |
政府が竹島の島根県編入を閣議決定。 |
1910年 |
韓国併合 |
1945年8月 |
日本太平洋戦争に敗戦 |
1951年8月 |
ラスク書簡 |
1951年9月 |
サンフランシスコ講和条約 調印 |
1952年 |
李承晩ライン |
1952年4月 |
サンフランシスコ講和条約 発効 |
日本は江戸時代より竹島を漁業を通じて領有権を確立していました。そして、1905年、政府は竹島の島根県編入を閣議決定します。
1945年に日本は戦争に負け「今まで日清、日露戦争によって得た領土を手放せ!」と連合諸国から言われる訳です。また、朝鮮半島の独立と朝鮮に対するすべての権利も放棄するよう決められます。
そこで韓国は「じゃ、独島(竹島)も返してよ・・・」とサンフランシスコ講和条約の作成過程で要望をだすのですが、当時のアメリカ国務次官補ラスクさんが「いや、あれはもともと日本の領土だからダメだねぇ」となった訳です。ラスク書簡ですね。
韓国からしたら「やってらんねぇ」ってことで、李承晩ラインというのを海の上に引きます。ココからココまでが俺たちの陣地ねっ!
そして、韓国側では、独島(竹島)は韓国の領土だぜ!と主張しつづけるのです。
日本としたら、竹島は江戸時代から日本の領土であり、アメリカのラスクさんも認めているということは国際的にも日本のものでしょ?勝手に海の上に線引っ張ってもダメだよ。という訳ですよね。
ただし、韓国側にもちゃんとした主張があります。
韓国は1900年に石島を鬱陵郡としています。この石島こそが現在の独島(竹島)であったといいます。
そして、日露戦争に勝利した日本は1905年にアメリカ、イギリスから日本の韓国支配の承認を受けて外交権などを韓国から奪いました。首都のソウルには統監府というのを置いて、その初代統監になったのは、あの伊藤博文(白いひげの人)ですね。実際、韓国併合となったのは1910年ですが、日本は1905年から韓国支配を強めていっていたのです。
ここでポイントになるのが1905年という年です。日本が竹島を島根県に編入した年と同じですね。
つまり、韓国からしてみたら、独島(竹島)は韓国のものだったのだけれども、1905年に日本に奪われたという訳ですね。だから、サンフランシスコ講和条約の作成途中でも韓国は「返して!」と訴えたのです。
日本にしてみたら、竹島の島根県編入と韓国を保護区に置いたこととは、まったく別のことで、タイミングが重なっただけだったのだけれども韓国からしたら奪われた!という訳ですね。
もともと日本の領土であった竹島を1905年に改めて島根県に編入したという日本。
もともと韓国のものであった独島を1905年に日本に奪われたという韓国。
で・・・。ホントのところ、もともとはどっちの領土だったの?というのが気になりますよね。
韓国は、1900年には石島を鬱陵郡とし、この石島が独島(竹島)だったと主張します。しかし、日本側の主張としては、石島って古地図見る限り観音島でしょ?竹島じゃないよ。といいます。
江戸時代においても、1693年に朝鮮の安龍福という人物は徳川幕府より竹島は朝鮮の領土だという書契をもらっていると韓国は主張しますが、日本からすれば、安龍福って人、漁民でしょ。徳川幕府が漁民にそんな大事な書契を渡す?と反論。
江戸時代に書かれ幕府が利用していた地図には、竹島が朝鮮半島と同じ色で書かれている。朝鮮は、黄色で日本は青。竹島はほら!黄色に書いてあるでしょ!
何いってんの?島の形状がぜんぜん違うじゃん。これ竹島じゃないし!などなど。
議論は絶えません。そこで、日本は平和的な解決として国際司法裁判所、つまり2国間で話し合ってもきりがないから第三者に決めてもらおうと提案しますが、韓国側は拒否しつづけています。
なぜなら、韓国にしてみたら独島(竹島)はぜったい韓国の領土。しかも、すでに韓国は独島(竹島)を実効支配している状態です。ここまでしている韓国側では、今更裁判などするまでもないという見解ですね。
冒頭で「ちょっとだけ」と書いておきながら、長くなってきましたね。でも、もうちょっとだけ・・・。
裁判も拒否され続け、では日本としてはどうすればよいのか?そこで、政府は現在、ネットや報道を通じて、国民や世界に竹島問題について考えてもらえるよう努力をしています。決して、反韓感情をあおっている訳ではないのですよ。
世論としては、こんな声も聞こえてきます。
仮に裁判で決着つけたとして、それで日本と韓国の間にわだかまりができたらそれこそ国益に見合わないんじゃない?その通りですね。しかし、この竹島問題を曖昧にするわけにもいきません。問題を先送りにしたところで、この問題はいつか再び浮上してくることは明白です。日韓友好のためにも、この問題はこの世代で解決せねばならないでしょう。
また、竹島周辺にはメタンハイドレードといわれる新エネルギーになりうる資源が眠っています。曖昧な時点で韓国がこれに手を出せば、日本の国民感情はいっきに反韓に向かうこともあるやもしれません。そうなる前に何らかの解決の糸口だけでも掴まねばならないのです。
じゃ、どうすんのよ!ってなりますね。裁判もダメ。話し合いもダメ。でも早期に解決しなければ・・・。
私の大好きな曲にジョン・レノンさんの「イマジン」という曲があります。
「想像してごらん平和な世の中を・・・。君はボクのことを想像家だと思うかもしれない・・・。でもきっと実現できる」
そうですね。話し合い、裁判で本当の意味での平和的解決が望めないのであれば、日本、韓国の国民、ひとりひとりが平和的な解決方法とは何なのかを想像してみることが大切だと感じます。ジョン・レノンさんならきっと、そういいます。
竹島問題において、テレビでは韓国の人が日本に敵意をむき出している映像が映し出され、キャスターやコメンテーター、政治家の人たちは眉間にシワをよせ解説しています。それを見ている子供の目の前で親たちは韓国に対して罵声を浴びせる。また、ネットでも誹謗中傷の雨あられ・・・。
これらは国民感情として当然の表現です。しかし、これらの行動では平和的な解決に近づくことはできないでしょう。
今回の領土問題において、本当の平和的解決があるのだとすれば、それは政治家の方だけの力で実現することは難しいはずです。まずは、日本、韓国、両国民が平和的解決方法を思い描き、少しの勇気をもって自分の意見を発信することから第一歩が始まるような気がします。
大切なのは、知識ではありません。思いやりと愛です。そこからしか平和的解決は生まれてこないのではないでしょうか?
(ちなみに、知識より思いやりと愛というのはチャップリンの名言の請け売りですが・・・)
2013/11/10
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