聖徳太子 (近年、学校では厩戸皇子(うまやどのみこ)と一部記述されているらしいのですが、ここではあえて一般的に知られている聖徳太子とさせていただきます。)聖徳太子は、弱冠20歳で推古天皇の摂政となると政治の世界へ華々しくデビューを飾ります。
では、その聖徳太子について、すこし詳しく見てみましょう。
592年、蘇我馬子(そがのうまこ)によって崇峻天皇(すしゅんてんのう)が殺されてしまいます。その後、馬子は自分の姪にあたる推古天皇(すいこてんのう)を皇位につけます。この天皇は実は女帝。つまり女の人だったのです。日本で始めての女性天皇だった訳ですね。その推古天皇のサポート役として摂政(せっしょう)となったのが聖徳太子でした。ちなみに、摂政とは「天皇が女性や子供だった場合に天皇を助ける役割の人」です。この摂政という位は、驚くことに今も残っています。詳しくはこちら |