旅の空から 〜上田市 無言館を訪ねて〜

戦後60年を迎えた昨年、テレビ、新聞等マスコミに数多く取り上げられた、戦没画学生慰霊美術館、<無言館>を訪ねてきました。

 信州上田市の山里に1997年に開館された、無言館、3年ぶり、3回目の訪問です。第2次世界大戦中、東京美大、帝国美大などに在籍し、卒業もしくは学業なかばで戦地にかりだされて、戦死した画学生たち30余名の遺作、遺品300余点が展示されています。  無言館に展示されている絵は、館主窪島誠一郎氏が、NHKで出版された「祈りの画集ー戦没画学生の記録」の編纂にたずさわった画家で、自身も戦地体験をもつ野見山暁治氏と共に、全国の遺族を訪ね遺作、遺品を集め開館したものです。

 コンクリート打ちっ放しの平屋建て120坪の十字架の形をした、周囲の自然に抱きかかえられるような、小さな私設美術館です。館内は照明をおとし、壁に絵を展示し、絵のかたわらに画学生の学歴、画歴とともに出征前後の生活状況や、戦死にいたるまでの軍歴がプレートに刻まれ、その作品を描いた当時の心境やのこされた言葉がそえられています。画学生の戦地からの手紙、日記、スケッチブック、召集令状(赤紙)軍からの弔慰文など多数展示されています。あの戦時中にかれらが、どんな気持ちで絵を描き、どれほど後ろ髪をひかれるおもいで出征していったか、どんな状況で戦死したのか、戦争の悲劇と画学生の心境が痛いほどわかり、あついものがこみあげてきます。

 ある画学生は出征直前まで恋人の裸婦をかき、帰ってきたら完成させるから、と出征していった、ひとつひとつの絵に画学生の 生きる えの必死の気持ちが伝わってきます。 無言館は すすりなきがきこえる美術館です。  野見山さんは云っています、「われわれは、遺族のためや、戦争反対のためにだけにこの美術館をたてたわけではない、かれらの絵のためにこの美術館をたてたんだ」 これが無言館のみちしるべでしょうか。

 無言館は私設の美術館で、行政にくみこまれたものではなく、建設にあたって多くの寄付がよせられた、ときいています。運営についても善意の寄付と300円〜500円の範囲での観賞料随意性でまかなわれています。1979年に同地に館主が開館した「信濃デッサン館」若くしてなくなった関根正二、野口英夫、松本俊介などの絵を展示していますが、経営難で閉館も検討されているとか、無言館のこれからにも不安がよぎります。 しかし今回若い人たちの来館者が、めだってふえています、戦争をしらない若い人たちが無言館の絵みて戦時中を経験した私とはちがった、こころを読み取っているんだろうとおもいます。 、