2012年05月23日
「この四国ツアーでは足摺岬から高知県内を東進し、室戸市を横切って徳島県へと
抜けたらしいのに、一番美味しそうな『仁淀川』付近での探索はどーしたの?」
と疑問に思われている方もおられるでしょう。
確かに高知自動車道を走行中に見渡す仁淀川の堤防は魅力的でした。しかしながら、
当地のシルビアシジミは放蝶由来ということなので探索しても無意味、完全にスルーいたしました。
それにしても『仁淀川』への放蝶は罪な事だと思います。
文献上、自然個体の記録は「高知市種崎」にあると蝶研サロン誌で読んだ記憶があります。
この「高知市種崎」から、放蝶地点と巷間言われている旧吾川郡春野町の仁淀川河口付近まで地図上の直線距離ではたったの約9kmしか離れていません。
こんなに短い距離ですから、これまで見つかっていなかっただけで、元々は仁淀川の堤防にも自然分布の個体群が生息していたのではないか?
と考えるのは私だけでしょうか。
「京都市左京区大文字山のギフチョウは絶滅した」と宣言するのが難しいように、
「高知県仁淀川の堤防にシルビアシジミは自然分布していなかった」と誰が言い切れるのでしょう。
自然分布のシルビアシジミが仁淀川堤防に残っていた場合、当地へ他産地の個体(徳島県産だとか…)を放蝶するとハイブリッド化が進み、
居たかもしれない自然分布の仁淀川堤防個体群は消滅してしまいます。
従いまして、この放蝶というのは「特徴的なゲノムを有する可能性がある個体群を、確実に絶滅へと導く行為である」
と言えましょう。
その地域に自然個体群が生息していた場合、「同種の放蝶」というのは、
地域個体群が長い時間をかけて獲得してきたゲノムを破壊するテロとも言えるものであり、悪質極まりない行為です。
放蝶したヒトは厳しく糾弾されるべきだと私は思います。
ところがわが国においては、「生き物を自然界に放す」という行為があたかも正しい事であるかのような共通の認識があります。
例としては…、
・一旦絶滅した鳥さんなのに、遠い国から連れて来た上に税金を投入して放鳥。
・宗教儀式として古くから受け継がれている放生会。
・そして極めつけは毎年栃木県で…、いや、これは書いたらアカンような気がする。
これらのことから、「生き物を自然界に放してはいけません」とは言えない雰囲気なんですよね、わが国は…。
最近、文章があらぬ方向へ走る事が多いような気がします。いずれまた何か書きそう予感はありますが、
このまま続けると過激な内容になってしまいそうなので、この話題はここで中断しておきます。
さて、今回の四国ツアーの最終日05月06日も午前中は天気に恵まれ、文献上シルビアシジミの記録は拾えなかったものの、
地図を見てると生息していそうだと感じた某所を訪れてみたところ、
このように大量のミヤコグサが生えておりました。
そこで、「これは、もらった!」と気合充分で歩き回ったのですが、見掛け倒し、ぜーんぜん居らんのですわ。
「さすがに記録がないだけの事はあるわ」とこの時は思ったのですが、帰宅後の現在では「時期を外していた可能性も否定できない」
という見解が支配的になり、改めて秋に再訪し調査する必要があると考えております。
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