なにげない日記(抜粋) 2000年1月

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 1999年12月 /  2000年2月


1/4(火)
 1/1の午後から1/3の午後まで留守にしていたので、わかめは今日になってやっと弾きぞめをしましたよ。弾きぞめの曲は「ワルトシュタイン」全楽章。といっても弾いたことないので初見。つまりメチャクチャなのだが。うーん。終楽章のトリルはさっぱり弾けないぞ。
 その後で去年の演奏会で弾いたリストとドビュッシーの「パスピエ」を弾き、ツェルニーの新しい練習曲を譜読みをする。かなり支離滅裂なラインナップ
 今年はショパンのバラードの予定だったのになぜか大晦日ごろからベートーヴェンが弾きたい気分。ベートーヴェンはずっと前に「熱情」を弾いて以来だし、たまにはいいかも。マジでやると大変だけどさ。少し練習してみてイヤにならなきゃ、今年は「ワルトシュタイン」だな、どうも。


1/5(水)
 街まで久し振りに買い物に出掛ける。コンピュータ館にも寄って楽譜作成ソフトなるものを注文してみる。約3万円なり(ぴあのさんのお奨めのヤツ。ぴあのの部屋の掲示板にて)。
 今年はわかめもMIDIに挑戦しようかとMIDIケーブルについてお店のお兄さんにいろいろ訊いたのだが、イマイチよくわからん。わかめはコンピュータとデジタルピアノを直接つなげると思っていたんだけど、全然違っているようで、MIDIを理解する道は遠い。こりゃあ当分このサイトはテキストだけだな。
 で、結局、MIDIケーブルは買わずに帰りましたとさ。


1/6(木)
 マムシ指のことで、また質問があったので9/29の日記に補足。マムシ指と脱力の関係について。
 親指の付け根をへこませないようにしてピアノを弾こうとがんばると手や腕に力が入ってしまう。手を開くだけでも力は入ってしまうんだからしょうがない。しかし、「音楽のお勉強」の「力を抜く」でも書いたように、ピアノを弾かない時に完全な脱力ができればピアノを弾く時にも脱力のコントロールができるようになるのだ。つまり、手をオクターブにひろげても、または親指の付け根をへこまさないように意識しても、完全な脱力ができて脱力のコントロールができていれば、自分でコントロールして無駄な部分の力を抜くことができるというわけだ。
 が、脱力が上手くいかない人は、そんなこと言われてもなあ、だろう。
 脱力は脱力でがんばることにして、マムシ指の矯正はこれだけで考えたいという人もいるだろう。ほんとはこの2つは密接な関係だから分けては考えられないんだけど、マムシ指の矯正のほうを中心に考える場合は、次の方法が少しは参考になるかも。
 マムシ指は、普段から親指の付け根の関節を外側に出しておくことが重要だ。ピアノを弾いている時はどうしても力が入ってしまうけど、普段の生活でいつも力が入っているということはないだろう。だからまず第1段階では、ピアノを弾いていない時にマムシ指にならないように注意してその時に力が抜けているかを意識しておく。
 そして、第2段階でピアノを弾く。片手ずつ弾く時に反対の人差し指で付け根を引っ張りながら弾くんだけど(9/29の日記参照)、この時に弾いているほうの手は引っ張っているほうの手に支えられているわけだから力はほとんど必要ないのだ。引っ張っているほうの手には力がいるけどな。
 で、第3段階はオクターブを片手で弾く。この時にももう片方の手(人差し指)で支えながら弾くのだ。この支えながら弾く時に脱力の感じがつかめれば、支えがなくなっても無駄な力が入らなくなるんだけど、どうだろうか。
 つまり、第4段階では支えなしで弾くことになる。弾いた瞬間は力が入るが(理想的には必要最低限の力で弾く)、次の瞬間に力が抜ければOK。ここまでクリアできれば両手でもバッチリだ。
 あ、念のために言っておくけど、マムシ指が直るまで両手で弾いてはいけないと言っているんじゃないよ。マムシ指が直るまできちんと片手ずつ練習していたほうが早くマムシ指から脱皮できるとは思うけど、そんなことは普通にレッスンに通っていたら無理だモンな。

 ここまで脱力とマムシ指は関係が深いと書いてきたけど、実は、マムシ指を直す時には脱力にこだわらないほうがいいかもしれないとも思っている。(わかめもマムシ指を直す時には力が入っていた時期があったしさ。)
 もちろん脱力は大事だけど、マムシ指をきちんと直そうと正しく努力すれば1ヶ月くらいで効果が出てくると思う。マムシ指が直れば変な力は入らなくてもすむようになるし(クセになったらマズイが)、そうなったら脱力に専念できるだろう。なので、それぞれのマムシ指の状態や脱力の理解度によって、実際の練習方法は変わってくるはず。自分の状態を考えながら、焦らず直して下さいな。
 それから、マムシ指は直ったと思ってもきちんと注意していないとまた戻ってしまうことがあるから気を付けるようにな。


1/14(金)
 掲示板に大人の生徒さんに関する質問(?)があったので、わかめの普段のレッスンについて少し。
 大人の生徒と言っても、希望する曲も弾き方も練習方法や時間もいろいろなので、レッスンは一人一人の個性に合わせなければならない。
 生徒さんが練習している曲を〇にするタイミングについても、わかめの場合、大人と子供ではずいぶん違う。
 子供の場合だったら教育的な立場からも、きっちり練習させるということは必要だろう。わかめは以前の日記にも書いたけど、基本的には、誰が聞いてもバッチリになるまで〇にしたくない、と思っている。(最近、甘くなったとは思うが。)しかし、大人の生徒さんの場合はちょっと違う。
 大人の場合、弾きたい曲を弾けるようになりたくてピアノを習いに来る、という方が結構いると思う。ピアノが弾けるようになりたいという方も、もちろんいるだろうが。
 わかめは、本人が「この曲を弾きたい」と言う場合にはどんどん挑戦してもらっている。(「まだ私には無理です」といえば強制はしないけどな。)なぜ弾いてもらっているかといえば、自分のテクニックで何が足りないのかが(本人に)よくわかるからだ。弾きたい曲を弾きこなすために何が足りないのかということがわかれば、練習する目標ができるだろ? それに、好きな曲のほうが誰だって練習のし甲斐があるってもんだ。
 どのくらい弾けたら〇にするのか? 
 わかめの基本方針は“ある程度弾けるようになったらもっと練習したいかもう飽きたか本人に訊く”だ。(ある程度というのがどの程度なのかは一人一人違う。が、少なくとも、音符を並べただけの状態のことではないとわかめは認識している。)弾きたくて始めてもやっぱり無理だったとか、何週間練習してもそれ以上進歩が見られないとか、今の段階ではこのくらいの仕上がり状態で充分とか、それぞれに様々な問題があるから、大人の場合には特に、本人がどの程度満足しているか、がポイントだと思っている。
 ただ、これとは別に、テクニックはテクニックでマスターしていかないと譜読みしかできない人になってしまう。つまり、テクニックいわゆる「曲」では、方針が違うのだ。
 でもこれも、たとえば同じテクニックの課題が何曲もあるような場合には、1曲ずつにあまり完璧を目指したりはしない。何事もほどほどが大事で、ピアノがイヤになってしまったら何にもならないからね。完璧を目指す場合は、なぜこの練習が重要なのか、充分生徒と話し合うべきだろう。
 要するに、その生徒さんの目標を達成するためにはどういうことが必要なのかを、日頃からしつこく話しておくことが、自分なりのレッスンをするのには必要不可欠なんだと思う。妙に難しさだけを強調したらダメだけどな。
 教える立場としては、生徒さん自身が、自分の演奏を少しでも客観的に聴くことができるようにすることが大切なんじゃないかと思っている。
補足(○をする基準について、2005年4月7日の日記で補足しました。)

 話は少しそれるけど、別の先生に教わっていた生徒を引き継ぐことがよくある。そういう時、自分が初めから教えた生徒とあまりに違うので(良くも悪くも)愕然とすることがある。しかし、同じピアノの先生といえども別の人間であるから好みやピアノの指導に対する考え方が違うのはちっとも不思議ではない(先生の選び方参照)。前の先生は自分とは別のことが気になるタイプだったかもしれないし、ポリシーが全く違ったのかもしれないと考えれば、前の先生を悪く言わずにすむと思う。いや、自分のほうが未熟な場合だってあるけどさ。(わかめ、お前のことだよ。)
 もし、前の先生と自分の方針があまりに違うようなら、はっきりと生徒さんに宣言したほうがいい場合もある。教わる側としては、先生ごとに違うことを言われたら混乱するからな。
 しかし、人を悪く言うような先生は信用されないだろうから、うっかり前の先生の方針を批判してはいけない(知り合いの先生の場合は特に注意すること)。いろいろな考え方があることを説明して生徒を煙に巻こう。あ、いや、つまりその、理解してもらうようにだね、モゴモゴ…。
 前の先生のことを言わなくてすめば、何も言わないほうがいいかも。


1/20(木)
 先生にとってのよい生徒という問題。
 よい生徒と言えば、そりゃあ月謝(授業料)をきちんと納入してくれる人でしょう。お中元やお歳暮なんかも届くとベターだね。えっ? 違う? 
 じゃあ、「若芽先生、美人ですね。」とか言ってくれる人? それも違う? 
 しょうがないなあ。じゃあ、ちょっと真面目に考えてみるか。
 まあ、基本的には、ちゃんと練習してきてくれる生徒なら、わかめじゃなくても大抵の先生は嬉しいだろう。その上、先生の指摘に注意を払って、できなくてもできないなりに努力したとわかればOKじゃないだろうか。あまりにも、普通すぎな答えですか?
 では、もう少しわかめらしいことを言っておこう。
 いい生徒っていうことは、嫌な生徒の反対ってことだ。では、嫌な生徒とはどんな生徒なのか。

1.レッスンを受ける時の態度が悪い。注意しても聞いていないとか、反抗的など。
 こんなの論外ですな。しかし、時々先生をバカにしているような子にも出会う。

2.ちゃんと弾けていないのに、「もうこの曲は弾きたくない」とか「嫌い」とかを連発する。つまりわがまま
 大人の場合は、連発しなければ構わないけど。(1/14の日記参照。)

3.向上心がない。
 やる気がないなら、来るなよ!

4.反応がない。何を考えているのかわからない。
 うーん。これが一番ありそうで嫌かも

 先生の指摘が理解できたかできなかったか、理解できないならどの辺がわからないのか、先生の言うことが素直に納得できるか、納得できないならどこに問題があるのか。そういうことをちゃんと伝えて先生とのコミュニケーションする努力をしてもらえると嬉しいよね。(まあ、そういうことをいっさい拒否しているような先生もいるけどさ。)
 いつも一方的に先生だけが喋っていて生徒の反応がないと、いったいわかめって何? みたいな気分になるし。
 大人の生徒さんの場合、なにを求めてレッスンに来るのかがいろいろだから、どういうことを望んでいるのかはっきり伝えてもらえると、いろいろ考えたり深読みしなくてすむから、わかめは気分的に楽だ。
 もちろん、先生にもいろいろのタイプがあるので、みんな同じだとは言えないよ。結局、最後はやっぱ、相性でしょう。(どうしても、そこへいくか? )


1/24(月)
 「音楽のお勉強」の入り口に次のような注意を書いた。

 ここに書かれている内容には若芽個人の意見や方針が含まれていますので、一般論とは違う場合もあります。
 このような考え方もある、と言うことを理解した上で、個人の責任において、利用するなり応用するなり無視するなりして下さい。


 ここを読んでいて下さる皆さんは他のサイトもご覧になっているだろうから、ある事柄(たとえば指の形や練習の仕方)について全く正反対の意見を目にすることもあるだろう。皆さんが教わっている先生とわかめの意見が全然違うなんてことも当然あると思う。それはどちらかが間違っているってことじゃない。どっちもありなんだ。算数みたいに答えが一つと言うことはない。
 一人一人がみんな顔が違うように、手も指も違う。感じ方も考え方も違って当たり前だ。だから、大事なのは自分にとって何が一番自然なのかだと思う。
 わかめは、わかめが正しいと考えていることを書いているだけだが、このサイトが、皆さんにとって選択肢の一つであって欲しいな、とは思っている。


1/30(日)
 手首の旋回、つまり手首を回すことについて。
 手首の動きには2種類あって、いわゆる手首を回すことのほかに、手首をねじる動きもある。ドアのノブをひねる感じといえばわかるかな。
 先にこのノブをひねるタイプの運動について。
 16分音符でドソドソドソドソ……などと速く続けて弾く時に(トレモロってヤツね。トリルは隣り同士の音だけど、トレモロは3度以上離れた2音(和音の場合もあり)を急速に反復するもの。)、指だけで弾くと(手首を使わないと)手に力が入って硬直してしまう。指にも無理がかかる。
 そこで、指先を鍵盤から離さずに手の甲から指にかけての形を固定して、ノブをひねったり戻したりするような方向に手首を少し振る。「振る」といっても上下に振るのではない。あくまでも、ノブを回す時のような方向だということが重要だ。(振動しているって感じだとわかめは思うけど。)ねじるとかひねると言うと一回だけとかゆっくりってな様子だが、すばやいので「振っている」になるのだ。
 振れの幅も鍵盤の深さだけだ。でも、これができると変な力が要らないし、弱い音でトレモロができるし、指への負担が全然違うので、便利だ。もし、トレモロが得意じゃないかたは、ちょっと意識してみたらいいんじゃないだろうか。

 さて、では、いわゆる手首を回すほうの話に入ろう。
 わかめは意味もなく必要以上に手首を回したりひねったりあおったりするのは好きじゃない。これは個人の好みなので、そうすることが間違っているってことじゃないが、わかめは無駄だと思うので必要最低限しかやらない。(あ、わかめが意味のない手首の使い方だと思っても、当人にとっては意味があるのかもしれないな。)
 しかし、もちろん手首を回す練習は重要だ。手首を回すのにもいろいろなパターンがあるが、ここでは説明できないので、例を一つだけ。
 ドミソドソミ(上がって下がる。右手の場合、指づかいは123532、左手は542124)と、ドファラドラファ(右手 124542、左手は532123)を繰り返し弾くと、手首を回すことの必要性が認識されると思う。手が大きい人は、ドソドミドソド(低いドから始まる。ミがいちばん高い。右手なら指づかいは1245421、左手は5321235)で試して欲しい。
 指だけで手首を動かさないように弾こうとすると、手全体が硬直する(と思う)。なので、手首を無理に固定しないで指に自然に付いていくようにすると、手首は自然に横(左右)に動く。
 実は、手首の運動が指に伝わるのが本当なのでこれでは逆なんだけど、手首を回すと言われてもよくわからないかたには、指から手首へ運動を伝えるほうが理解しやすいだろう。だから、はじめは指から手首へ動きを伝えて、手首が指に付いてくる感じがわかったら、手首を積極的に回転させて(左右の動きに上下の動きも加える)手首の動きを指に伝えると良いと思う。
 大事なのはこの時の回転の向きである。右手は反時計回り、左手は時計回りが、基本だ。最初にこの基本の回転の向きを身に付けると、あとは自然にそういう回転ができるようになる。

 さて、その練習の仕方だが。
 右手でドレミファソファミレド(上がって下がる)と弾いてみよう。ドレミファと1234の指であがっていく時には、少し大げさに手首をぐっと下げて回す。時計の文字盤で言うと、8、7、6、5、4という位置だ。時計の文字盤の中心はミの鍵盤辺りだよ。
 で、いちばんてっぺんのソの音を弾く少し前には、手首は4時方向にあるので、このまま5の指でソを弾いて2時方向まで手首を上げる。そして、今度はファミレドと下がってくるわけだが、この時はお察しの通り、時計の文字盤では1、12、11、10と手首が動くのだ。ほら、反時計回りだろ? で、これを繰り返す。
 左手の場合はソファミレドレミファソ(下がって上がる)と弾く。指づかいは右手と同じで123454321である。はじめのソ(1の指)で文字盤の4辺りに手首が入って(下がって)、ファミレと進むあいだに5、6、7、8(時計の数字)と手首を回す。でいちばん下のドの音で10時方向まで上げて次のレミファソと上行する時に文字盤の11、12、1、2と回すってわけだ。な、時計回りになっただろ? 
 つまり、外側に進む時には手首を下げ、内側に進む時には手首を上げて回すのである。

 はじめに少し大げさに練習するのは手首に回し方を教え込むためで、けして演奏の時にこんなに極端に手首を回すわけではないことに注意すること。まあ、そんなに手首を振りまわしたら普通は弾けないと思うけどな。
 ピアノを弾かずに指を机の端にでも引っ掛けて、3の指を中心にグルグル回す練習をしてもいい。
 そうやって少し手首を回す運動に慣れてきたら、曲を弾く時に、片手ずつどういう回転が付くのか研究してみるというわけだ。正しい向きに気をつけてな。

 今「ワルトシュタイン」の第1楽章をやっているんだけど、手首の使いすぎは好きじゃないなんて言っているわかめでさえ、回しまくってるよ。14小節目からの左手はノブをひねるタイプの使い方だし、23小節目からの左手は回すほう。右手もいっぱいあるなあ。
 しかし、お互い、くれぐれも手首の回しすぎには注意しましょう。


1/31(月)
 レッスンに行ってきた。「ワルトシュタイン」だよ。次回はペダルをつけてくるように言われた。ベートーヴェンは久し振りで、どうやってペダルを踏んだらいいか当惑するわかめであった。

 1999年12月 /  2000年2月


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