1985年以前のビールに関する覚書
もの心ついたときには、日本のビールはだいたいこんな感じであったと思います。
キリン |
アサヒ |
サッポロ |
サントリー |
生(缶・樽のみ) 黒 |
黒 |
黒 |
当時は「一社一銘柄」が当たり前のことで、「キリン」「アサヒ」という会社名がそのまま銘柄を指すのが普通でした。
また、飲食店においてあるビールも一店一社が当たり前で、複数の会社のビールをおいていることはまずありませんでした。
1960年代後半より各社ミクロフィルターを用いた非熱処理ビールを「生」として発売するようになりました。そしてそれまでのビールラベルの「ラガー」と書いてあった辺りに「生」と印刷するようになったので、これが後年「生=非熱処理」「ラガー=熱処理」という誤解を生むもとになったのだと思います。
サントリーは1967年以降ずっと非熱処理ビールのみだったそうです。
キリンは1985年まで何故かビンの非熱処理ビールを発売しませんでした。従って、キリンの「生」を飲みたい人は缶か樽容器のものを購入するしかありませんでした(一時期ワンウェイボトルの「キリン生A」なんてのはありましたが)。
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コープランド、横浜にビール工場建設。 北海道開拓使、札幌に官営ビール工場建設。 コープランドの工場を引き継ぎジャパンブルワリー創業(キリンビール)。 日本麦酒製造会社創業(ヱビスビール)。 札幌の官営工場を引き継ぎ札幌麦酒会社創業(サッポロビール)。 大阪麦酒製造会社創業(アサヒビール)。 日本・札幌・大阪麦酒が合併し、大日本麦酒設立。 ジャパンブルワリー、社名を麒麟麦酒に変更。 集中排除法により大日本麦酒が日本麦酒と朝日麦酒に分割。 沖縄ビール創業(1959年に「オリオンビール」に社名変更)。 宝酒造「タカラビール」でビール市場に参入。 サントリー「サントリービール」でビール市場に参入。 日本麦酒、社名をサッポロビールに変更。 宝酒造、ビール市場から撤退。 |