とはいえ、犬猿の仲の薩摩、長州を結びつけるにはお互いの面子もあり苦労したことでしょう。土佐藩出身の坂本竜馬と中岡新太郎(なかおか しんたろう)は必死に薩摩藩の西郷隆盛(さいごう たかもり)と長州藩の木戸孝允(きど たかよし・この時は桂小五郎)ら説得し、1866年ついに幕府を倒すために協力し合うよう誓い合わせるのでした。
○大政奉還(たいせいほうかん)
1865年、長州藩が武器の密輸をしていることを知った幕府は1866年、長州藩へと第二次長州征伐の軍を向けます。しかし、実は、この半年ほど前に薩長同盟が結ばれており、期待していた薩摩藩は動かない!しかも、長州藩は何だか最新鋭の銃も持っている(その頃、幕府軍はまだ火縄銃)。さらには、将軍徳川家茂(いえもち)が急死してしまう。結局幕府軍は引き下がることとなるのですが、もはや、たかだか長州一国にすら勝てない幕府軍・・・。しかも、この後、公武一体派だった孝明天皇が急死。(これには、薩長による暗殺説もある。せっかく幕府を倒しても肝心要の天皇が幕府よりではたまったものではないので・・・。)
そうした中、将軍家茂に変わり、徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)が15代将軍となりますが、その慶喜将軍は1867年、土佐藩主 山内容堂(やまうち ようどう)の意見を受け入れ(坂本竜馬の案だという説もある)政権を天皇に返す、大政奉還を決めるのでした。
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(坂本竜馬(左)と中岡新太郎(右)像・京都府 円山公園) |