11月22日
今日も晴天。
フレシネ国立公園へ向けて ヘイテッチ街道をバスは走った。
別名、歴史街道と呼ばれ、馬を休ませるために 10キロから20キロに一つ、町があった。
Aの3号線はタスマニアで一番美しい道といわれ、外来種のカノコ草の白、ピンクが
街道脇に咲いていた。
ブドウ畑、オリーブ畑、菜の花畑・・・
めったに行きかう車もなく、レンタカーで走ったら、とても気持ちが良さそうだ。
花崗岩の山並みが続き、羊の牧場が広がってくると、良江さんが
羊の毛刈り職人の話をした。
1匹2ドル、一日に100匹ほど刈るのだとか。
腰痛が持病となるので 若者に人気が無く、後継者不足がタスマニアの悩みという。
タスマニアの牧場の坪単価は10円。100坪で1000円と良江さんは言った。
柵でしっかりガードされた、ジャスコ直営農場も通過した。
1642年 オランダ人エイベル・タスマン氏によって発見されたタスマニアも 200年後に
この名前となったようだ。
宮崎駿さんの「魔女の宅急便」のモデルとなったといわれる
「ロスのベーカリー」のある町、ロスへ入った。
チャーチストリートといわれるメインロードは 歩く人も無く、抱えられないほどの
大木の並み木の枝がそよ風に揺らいでいた。
こんなに小さな町に、教会が何軒?と不思議に思ってしまった。
緩やかに流れる川には水鳥が列を作っていた。
オーストラリアで3番目に古い、石のロスブリッジが架けられていた。
かって、イギリスから送られてきた囚人達が作業をした橋だ。
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5つの山が連なる峠を越える頃には 雲が立ち込めてきて、旅のハイライト
ワイングラスベイの海の色が心配になってきたが、強運の神様が付いている私達
きっと奇跡が起きる!とバスの中で祈っていた。
マイクさんがハリネズミを見つけた!シャッターチャンス!
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昼食はフレシネ国立公園のロッジ内の海の見えるレストラン。
ほぼ、タスマニアの中央のロンセストンからは東南へ200キロほどで東海岸に
たどり着く。
あずきのスープは、どんぶりほどもあった。
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山道を歩き出すと、雨がポツリ、ポツリ。風も強くなってきた。
良江さんは花を見つけると、ティトリー{白い花}クンセア{甘い匂いの白い花}
バンクシア{タワシのような黄色の花}などを教えてくれた。
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ワイングラスベイを見下ろす展望台には一時間ほどの登りで到着。
ひどい風で、帽子も飛ぶほど。 記念撮影も儘ならなかった。
厚い雲が覆っていたが、時折、雲が切れて薄日が差し込んだ。
そんな時は、海の色がわずかではあるが、蒼さを増した。
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リュックからミニハーモニカを取り出して、風の音に向かうように「ふるさと」を
吹き出すと、皆が唱和してくれた。
降りてくると、天気は悪いけれど、ハネムーンベイと甘い名前のベイまで歩いてみた。
晴れていたらさぞかし・・・と思いを残してバスに乗った。
ビジュノーのホテル、ビーチフロントに到着。
ここは、アメリカのモーテルのよう。
長屋のように、平屋の宿泊棟がいくつも並んでいた。 部屋は、ベッドが3つあった。
Sさんの部屋もベッドは3つあるということで、今夜は Rさんはセレブさん達で一緒に
泊まる事になり、私は、一人で3つのベッドを使うこととなった。
ロブスターの夕食を終えて、海岸に行くため 厳重に服を重ねた。
フェアリーペンギンの観察にインストラクターの迎えのバスで、
暗くなる20時半を過ぎてから出かけるのだ。
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オーストラリア本土の方たちも一緒に、海岸まで歩いて行った。
皆がいっせいに歓声を上げた。
とても大きな、しかも色鮮やかな流れ星が海に落ちたのだ。
ガイドの照らす懐中電灯の先に、3,40センチの小さなペンギンたちが海から
上がってきた。
時々止って、毛つくろいをして、またヨチヨチと歩いてくる。
「人間は怖がらないが、靴底をザーザーと音を立てると びっくりするから、
じっとしていて、フラッシュはたかないで」と注意があった。
生まれたばかりの雛も見せてもらった。
産毛が モコモコで 茶色帯びたねずみ色だった。
フェアリーペンギンは巣穴に居る子供達のために、一日中 海で餌をとり続け
不眠不休で 吐き出した餌を与え、夜がしらけてくると、また、海に戻っていくのだ
という。
人間界の昨今は、親子間の悲しいニュースが紙面を埋めている。
それなのに、このけなげさ!
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![]() ペンギンを見た海岸で採集 |
感動の夕闇が終わり、ガイドのバスに乗った。
良江さんが、オーストラリアからの客の坊やに、「ペンギンはどうだった?」と声をかけた。
すると、横に乗っていたお母さんが、「ぼうやの靴の上をペンギンが通っていったのよ!」と言った。
「一生、忘れられない思い出ができましたね!」と私がいうと、
「この子にとって、忘れられない思い出ができました」とお母さん。
思わず、良江さんと顔を合わせて、「まるで同時通訳みたいね、英語と日本語で同じことを
言い合って・・・・」