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小鳥のさえずる声で目が覚めた。 雲ひとつ無い透明な蒼空。

朝食は MORELLAのスタッフが夜の内に運んでくれていた。

イングリッシュマフィン、トマト、サーモン、チーズ、コーヒー。

そして、アーサーおじいさんのリンゴ。

簡単な朝ごはん。でも、景色はご馳走!

志賀さんは満足のいく写真が撮れているのだろうか?

 

 名残の尽きぬ別荘と別れて ケイプ・ブルーニー・ライトハウスという

南端の灯台に向かった。

灯台を目がけてオールド・ジェニーロードを登っていくと、途中には

可憐なホワイトフラックアイリス{バタフライアイリス}が咲いていた。

 

 タスマニアンブルーの雲の無い空に、真っ白の灯台。

南極まで3000キロしかない。

玄武岩の鉛筆状になった規則正しい岩が 海に突き刺さっていた。

音も無い、チリもない、この透明感・・・・どこかで味わった・・・・

そうだ!ピースボートで北極圏のフィヨルドに入って行った時の、ノルウエーの小さな村、

あの時の透明な静けさに似ている・・・・・・

 

何時も車で待っているマイクさんも灯台へ来て感嘆の声を出していた。

時間があったら、このあたりのトレイルを歩いてみたい・・・・

もう、こんなに憧れたブルーニーを午後には離れなければならない・・・

南極まで3000キロ!

 

 昼食のアドベンチャーベイに向かう、バスの中、良江さんは私に囁いた。

「マイクさんが昼食代を自分で出すから、一緒に参加したいと言っていますが・・・」

ホバートの夕食はフリーにしていたし、明日の朝は空港へ行かねばならないので、

ホント、ブルーニー島でとる最後の昼食なんだ・・・

細やかなマイクさんに感激して、

「是非、ご一緒に! 昼食代は私の預かっているお金で」と申し出ると、

ハンドルを握っている彼に良江さんが伝えた。

「イヤ、イヤ自分で払うから・・・」と彼。

「マイクさんが100ドルも食べるんだったら払えないよ!」と私が言って、

快く申し出を受けてくれた。

     ・・・一週間のお付き合いだったが、スルーで二人が付いてくれたことで気心も知れ

最後には食事を自腹でも一緒にしたいと言っていただいた。

こんな感激ってあるだろうか・・・

 

 アドベンチャーベイの「ペンギンカフェ」に到着。

昼食の時間まで、めいめいに散歩。

乾燥のひどいここでは、何時も山火事が起きる。

海岸沿いの松林も焼け焦げ、大きな火事の痕を物語っていた。

みると、“ワラビ”がいっぱい生えている。

私は両手いっぱいにワラビを採って ペンギンカフェに入った。

 

志賀さんの奥様 美智子さんと・・・ 日本がなかった・・・・ マイクさんとワラビ採り

 席はアドベンチャーベイの潮風が心地よい、ベランダの丸いテーブル。

英語の達者なHさんをマイクさんの席に入ってもらった。

Hさんは、グレイドルマウンテンのロッジの時のように、活き活きとトークが始まった。

ワラビが食べられるというとカフェの方たちも、マイクさんもびっくり!

茹でてもらって、しょう油らしきものを付けてもらった。

マヨネーズは知らないようだ。

タスマニアでは“ワラビ”は動物。

日本では、食べられる野草ということを説明すると、彼らは不思議がっていた。

 

 ペンギンカフェのオーナーはブルーニー島を撮り続けている写真家で、店内は

彼の写真が飾られ、パソコンでも見られるようになっていた。

 

ぱれっとの新しいデザートとなった
”ブルーニー・アイランド”

デザートのケーキは、かなり大きなココットに、熱いリンゴの煮詰めた物が入っていて、

雑穀のフレークがかけられた上に、冷たいアイスクリームがトッピング。

アクセントにフルーツソースとミントが飾られていた。

熱くて、冷たくって不思議なハーモニー。

思わず、「いただき!店のメニューに加えて、“ブルーニー・アイランド”と命名しよう!」と

私は思った。

 

 マイクさんはワラビの味が気に入ったようで、食後にはワラビの生えていたところに

私を案内させた。

奥さんに持って帰りたいというので、“灰汁”の話をして側にある火事の後の灰を握ると、

とっても不思議な顔をした。

灰汁を燃えかすの灰で取るなんて外人さんにしたら全く考えられないことだと思う。

メンバー達は、「今度来たら きっとワラビのメニューが ペンギンカフェに加わって

いるよ」と口々に言っていた。

 
(マイクロバスのミラーに・・・志賀さんのご主人の撮られた素晴らしいチャンス!) 

鳥の名前
 Superd Fairy-wrenのオス
 繁殖期のみ青い色、全長14p

参考:Superd Fairy-wrenはオーストラリア東南部とタスマニアの固有種

 昨日来、何度も往来をした、ザ・ネックビーチの展望台に上がった。

海岸線は両脇から大きく弧を描いてくびれていて、中央を道路幅だけがまっすぐに

伸びていた。

世界の殆どの人がこんな美しい風景を知らない・・・・・

おびただしいフェアリーペンギンの
足跡・・・・・・
手前の草むらが巣穴

 

砂浜に目を転じると、海岸から無数にフェアリーペンギンの足跡が残っていた。

昨夜の内に、この砂浜に来ていたら・・・

今朝、夜の明ける前にこの砂浜に来ていたら・・・・

どんなドラマが見られたのか?!!

想像するだけで,胸がときめく。

昨日、このネックを通過したとき、ペンギンはここへも上がってくるんだろうな・・・

と思っていたし、昨夜、食事の後に、ネックへ行ってみたい・・・とも思った。

良江さんらの宿舎は、わたしたちのロッジから車で20分もかかる場所とか聞いていた

ので、また、夜に来てもらって、宿舎まで帰ってもらう・・・と言うことを想像すると、

押しの強い私でも、さすがに言い出せなかった。

 

{マイクさんの様子を見ていると、いつも5時には仕事を終えていた。

タスマニアの人々はマイクさんと限らず、夏には21時近くまで明るいこともあり、

5時から、ゴルフなどを楽しんでいた}

 

 こうして、無数の足跡を見たら、残念で、残念で・・・

ロッジの方に電話して、有料でいいから送迎をしてもらえばよかった・・・などと

悔やんでバスに乗った。

 

 フェリーが対岸のケタリングに到着。

果たして、アーサーおじいさんは???

いたいた!私たちのフェリー到着を待って、乗り込もうとしている自動車の波のあいだに

イチゴの手押し車をひきながら・・・・

トイレの前でお客を待つのではなく、積極的な行動をしている。

リンゴのお礼も言えず、バスから目線は合わないけれども 手を振った。

 

 1270Mのウエリントン山が左手前方に見えてきた。

パイプオルガンの山とも呼ばれていてハイキングコースがたくさんあり、

良枝さんはミステリーコースに挑戦したそうだが 本当に分からなくなって

途中で挫折したことがあるとか。

 

タスマニアの州都、ホバートの街が見下ろせるマウントネルソン展望台に着いた。

タスマニアの人口48万人の内、19万人が住むホバートが眼下にあり、

長さが1000Mのタスマン橋が白く美しいラインを描いていた。

 

 文化財に指定された150年も経っている街並みを通過した。

バラやらブーゲンビリアが競って咲き、どの邸宅もガーデニングに力が入っていた。

入ってみたいカフェやパン屋さんもあった。

 

 サラマンカプレイスという港に近いおみやげ屋さんやギャラリーが集合するする

広場で自由行動となった。

おみやげに興味のない私は、先ほど バスから見た古い街並みを散歩して、

カフェに入ろうと 一人で歩き出した。

バッテリーポイントという大砲台を目当てにすれば迷わないと思っていたが、

やはり、方向音痴でよく手入れされた公園を抜けた頃には、チョット焦った。

     ・・とはいえ、何とかカフェにたどり着いて、一服。

 

メルキュールホテルに着いたのは17時。

早速、夕食場所を見つけながら、由紀ちゃんとNちゃんと地図を片手に

港に向かって緩やかな下り坂を歩いて行った。

車は多いし、タイムトンネルから戻った気分で、少々うんざり気味。

 

「ORIZURU」という日本人の経営するレストランの前の辺りで、

現地の若い夫婦と赤ちゃんと牧羊犬が 遊んでいた。

16歳にもなるワンチャンから話が弾んだ。

ブルーニー島から帰ったところだというと、彼らは数年前に、ブルーニー島の

ペンギンカフの脇にある教会で結婚式を挙げたのだという。奇遇!!

ORIZURUさんの評判を聞くと、「おいしいですよ!」と言う返事。

お別れを言って入っていった。

 久しぶりのお寿司、刺身、生牡蠣、

ご主人はカウンターに座って、忙しそうに働く留学生達に目を配っていた。

物静かなご主人に、由紀ちゃんはおしゃべりを始めた。

25年前ホバートでは生の魚を食べる習慣は無く、開店当初は相当苦労をされたようだ。

今では、寿司ブームに乗って経営も順調そうで、マレーシアなどの留学生の家を訪ねたりして

日本へ帰ることもあるとか。

“秋の夜長”ならぬ“夏の夜長”をしっかりと楽しんでホテルへ帰った。

ホテルのロビーでは 学生らの撮影会が開かれていた。

彼らも”夏の夜長”を楽しんでいるようだった。 


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