11月23日
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今日も、天気は上々。再びAの3号線に乗って、美しい海岸線を楽しんだ。
ワイン畑、オリーブ畑、菜の花畑・・・・
コロニアル時代の雰囲気を残した街、リッチモンドはホップ畑の中にあった。
簡素な教会、コール川に架かるオーストラリア最古の石橋、タスマニアの絵はがきに
必ず登場する風景である。
暑くなく、寒くなく、程よい気候の中を散歩。
日本でオーストラリアビザ、ITASを収得するお手伝いをしたため、
皆さんのパスポートコピーを頂いた。
その折、11月25日にNちゃん、Oさんの二人が誕生日であることが判明した。
旅の間に、何かできたら・・・と思っていた。
25日はタスマニアからシドニーに移動し、
日本へ帰る日にあたってしまうし、これから渡ろうとしているブルーニー島の情報は
乏しすぎる。この のんびりとした、タスマニアに居る間に何か仕掛けないといけない
ことを 良江さんに相談すると、このリッチモンドで昼食をとることになっている
レストラン、ワインセンターがケーキも美味しいということで、
彼女が手配をしてくれた。
皆さんからのチップ代、シ−クレットと言えども、志賀ご夫妻だけにはそのわけを
伝えていた。
リッチモンドの可愛らしい街の散策を昼食前に皆さんにしていただいているうちに、
ケーキの確認に良江さんと出かけた。
チョコレートのとても大きなケーキが用意されていたが、マイクさんも招待して
14人分となると、チョット寂しいかも・・・と思い、ホワイトチョコのケーキも
追加した。
良江さんは、クラッカーなどもあったらいいのでは・・・と言って、
スーパーマーケットへ出かけて行った。
サプライズパーティーにはふさわしく、野外の木かげで昼食となった。
なんで、クラッカーが回ってくるのか?と言う皆さんの表情の中、
大きなケーキが運ばれて、「ハピバースデイ・・・」と良江さんと私が歌いだした。
NちゃんとOさんはびっくり!!
大成功だった。 良江さんの努力に感謝!
カキが殻ごと入った やはりどんぶりのクリームスープだった。
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タスマニアの州都、ホバートへ到着。
「博物館」に入った。
今まで、都会の喧噪を知らずに観光をしてきたが、いきなり現実に呼び戻された感じだ。
タスマニアの囚人の歴史、固有の動植物、アボリジニの原住民の歴史など、
興味深く見て回った。
アボリジニの人たちはオーストラリアとタスマニアと12000年前に切り離されてしまって
イギリス人の殺戮によって1803年、4000人いた純血の人々は
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さて、いよいよ未知なるブルーニー島へ!
一年間、計画を練る内に、野鳥など、タスマニア固有種の宝庫がブルーニー島と
いうことが分かった。
志賀ご夫妻のためにも、私のアドベンチャー魂のためにも、
是非とも、足を踏み入れたい島となっていた。
現地手配の旅行社も、グループでこの島を訪れる方たちは、未だ、ないとかで、
殆どの情報もなかった。
インターネットでも、探れなかった。
良枝さんは私達がこの島を計画の中に入れていたので、友人の車を借りて
事前に、フェリーに乗ってチェックに来ていた。
タスマニアっ子のマイクさんでさえ、訪れたことはなかった。
サプライズパーティーと博物館で時間が押されていて、フェリーの時間を気にしていた
良江さんだったが、無事乗り場のケタリングへ到着。
出発の合図があるまで インフォメーションセンターなどで過ごした。
トイレに行こうとセンターの外へ出た。
フェリーのお客目当てに果物を売ろうと、おじいさんがベンチに座っていた。
試食を申し出たらOKがでた。
イチゴ3ドル、ジャムは5ドルを4ドルにしてくれた。
取れたての畑の味がした。にわかにおじいさんの助手が始まって、
私は、メンバーに売りつけた。
ミックスジャムのビン詰めは 息子が作ったという
全部さばけてしまったら、おじいさんの株がぐっと上がるのでは・・・と
愛らしいアーサーおじいさんの助手を買って出たわけである。
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アーサーおじいさん |
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試食効果か殆どが売れた。
アーサーおじいさんはお礼にりんごを8個もくれた。
「明日の昼過ぎにはまた、ここへ戻ってくるからね! だまって座っていては売れないよ。
今のように、試食作戦をしてね!」と怪しい英語で伝えて別れた
30分の乗船時間の間に、良江さんはタスマニアの海について語った。
ウッドチップを日本の商社は輸入するために、日本の海水を入れて、この海まで持って
くる。 タスマニアの近海で海水を捨てて、チップを積み込む。
それによって、タスマニアにはいない わかめやオニヒトデが大量に発生する。
自然のサイクルを狂わせているわけだ。
森林保護と経済力、いつもデモが行われているという。
紙など、資源を無駄使いしている日本が問題なのだ・・・・
ブルーニー島の道はまだ、舗装がされていないところが所々あって、ほこりの舞う
ユーカリのジャングルに入っていった。
黄色のユーカリの花などを見つけたりして進んでいくと、
静かな良江さんが奇声をあげた。
「“クリスマス・ベル”を見つけました!」彼女の指差す先には、少し濃い目の
下を向いた可憐なオレンジピンクの花が茂みの中から顔を出していた。
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12月のクリスマス頃にならないと見かけない花で、しかもブルーニー島にこんなに咲いているな
んて・・・と、興奮していた。
ザ・ネックビーチと呼ばれる海岸線の道を抜ける時には、黒鳥が優雅に
群がっていた。
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良江さんが下見に来たホテルと違うホテルに 直前にチェンジされたということで
マイクさんも道が分からず、右往左往。
ようやく見つけた今夜の宿泊は“MORELLA”
孔雀がお出迎えで、MORELLAのレストランはザ・ネックビーチが見下ろせる
丘の上にあった。
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野菜を作るビニールハウスがレストラン。
床は、ウッドチップが敷き詰めてあった。まったくユニーク!
貸し別荘のスタイルをとっているようで、本棟とはまったく別のザ・ネックビーチの
対岸の海岸沿いに 私達の泊まるところはあった。
洗濯機から調理器具まで揃っていて、一晩でも別荘暮らしの味がして
ホテルとは違った感じがとても良かった。
{後で、室さんらに使ってもらったコテージは、修学旅行気分で
蒔きストーブの蒔の枝を取りに 皆で出かけたりして とっても楽しかったそうだ。
Sさんらにも、3名で使えるミニ・コテージがあって丁度良かった。}
別荘の周りには、“トリガープラント”と呼ばれるピンクの花が咲いていた。
トリガーとは銃の引金という意味らしく、小枝などで微かに触れてみると、