志賀さんご夫妻を除いて 移動したってよいし・・・などと思っていたのだが、
いざ、鍵を・・・という時に、
「一部屋余分に取ってほしいのですが・・・」とSさん。
「エッ!・・・ってことは、これから旅の間中ということでしょうか?費用もかかりますが・・
・・」と私。
「承知しています・・・」と平然と答えたSさん。
ということは、こちらもトリプルでいくか、一人部屋をもう一つ用意せねばならない。
なぜ、日本にいるときに、その旨を連絡してくれなかったのだろう・・・・
早く横になりたい私は、とりあえず、Sさんに二部屋、由紀ちゃんと私とNちゃんとで
トリプルにして その場を納めた。
{Nちゃんとのご縁は、ピースボート乗船の折り、友人となっていた須崎さんの友達で
ある。 偶然、私の街の近くに住んでいて、輪が広がっていた。
タスマニアの話をすると、快く参加を申し出ていただいた。グループで一番若手である。}
Sさんの一言は いきなり、頭を殴られた感じだった。
旅は始まったばかりというのに・・・・・
ガイドの良江さんは、困った顔をしていたが明日からのことは、会社で相談しますと
いうことになった。
機内で簡単な食事もあり、もう寝ても良いと思いきや、レストランの予約が ホテルから
数歩の所にしてあるという。
{GALLUS}と石で彫られた店に入った。
前菜、スープ、メインのお肉も魚も 大満足の味付けだった。
回復の兆しか 困ったことになっているというのに、美味しくいただいた。
日本時間では 真夜中のビッグな食事である。
Sさんは、9時以降は食べないことにしているからと、ワインだけで夕食には手を付けなかった。
自分の意志表示をはっきり言える方のようだ。
大きすぎるケーキが出て、コーヒーはいかが?と係りが言った。
案内したガイドの良江さんはすでに自分の携帯番号を残して帰ってしまっていた。
「料金に含まれているのならください」と私は言って コーヒーが運ばれた。
けれども席を立とうとすると、別の係りが コーヒー代を請求してきた。
私のいい加減な英語では通じていなかったのか・・・
志賀さんがみんなの分のコーヒー代を払った。
{これは 後日、レストランの手違いで戻ってきた。私が確認をしていたことが判明して良江さんが店からもらって志賀さんにお返しできた。わずかなお金かもしれないが日本人はこのあたり、曖昧にして済ますことが多いような気がする。}