2013年を迎えて

 1980年「家族の会」が生まれたころのことです。助けがほとんどなかった中にあって介護をする家族には夢がありました。それは介護に手を差し伸べる助けが現れることでした。たった一晩でもいいからぐっすりと眠りたい。一日でもいいから子供とゆっくりと過ごしたい。そして早く「ぼけ」を治してくれる薬が現れること。

 1997年介護保険法が成立し、1999年アリセプトが発売されました。2000年介護保険制度が開始され、認知症高齢者グループホームが設立され、2006年には小規模多機能型居宅介護も開始されました。その後、介護保険法も数度の改正を行いました。

 2012年オレンジプランが発表されました。さてこれから、介護保険はどの方向に進んで行くのでしょうか。否、そうではなく、どのように進むべきか何を求めていくべきなのか、私たちが声を上げ続けることが大切です。それがあったからこそ一歩ずつ夢に近づいているのです。

 日本人が開発した世界最初の認知症の薬アリセプトは、1997年米英独で、1998年仏に続きその翌1999年に日本で販売されています。この認知症薬は杉本八郎さんという研究者によって「創薬」されていました。工業高校からエーザイに入社、働きながら大学を終えて薬の開発に従事します。開発を危ぶむ会社の二度に亘る中止命令を越えて開発されたそうです。そのきっかけを杉本八郎さんは次のように語っています。

 『絶対親孝行したいと思い、それがやっと出来るころに母は認知症になりました。「あんたさん誰ですか」と母は尋ねるのです。ショックでしたね。「子どもの八郎ですよ」と答えると、母は「ああー、そうですか私にも八郎という子どもがいるんですよ」と。私は「よし生涯かけて認知症の薬をつくるぞ」と覚悟をきめたのです。』(京都新聞HP2010年7月20日)

 2000年の介護保険制度の成立後でも、本人と家族の苦しみが無くなってはいません。30年前であっても今にあっても、病気と介護から生まれる苦しみ悲しみは同じなのです。何故なら法律や制度が解決するのではなく、それを基とする社会と人の手が解決して行くのです。大切なことはそこに生まれる「ちから」が、常に本人と家族と共に寄り添っているかどうかです。これまでに、私たちはそうした「ちから」に助けてもらってきたのです。

 杉本八郎さんもその「ちから」の一人でした。認知症の母の言葉に促されたからこそ薬が誕生したのでしょう。認知症が抱えている苦しみを解決しようと決意があったからこそ、一歩前に進まれたのでしょう。私たちを支えてくれる地域の人々に、福祉や医療や行政の中に、次々と第二第三の杉本さんを見出し、育て支えて行くことが、私たちの夢を叶えることに繋がるのではないでしょうか。そうした社会や人の絆を強めることが、ひいては日本の社会を成熟させていくことになるかもしれません。

 今、私たちの社会は沢山の課題を持っています。時としては自信を失いがちですが、「家族の会」が誕生した時に持っていた「夢」を捨てずに歩き続けたいものです。