●寄稿  介護職と介護者の狭間で

 4月に父が他界しました。享年71歳でした。平成23年12月21日夕食後、父が自宅で倒れ、すぐに救急車で医大に向かいました。倒れた原因ははっきりと覚えていませんが、後の検査で肺癌が見つかりました。治療をしなければ「1ヶ月持たないでしょう」と告げられ、その日から1年4ヶ月にわたる介護生活が始まりました。

 私は現在、出雲市内で高齢者福祉に携わる仕事をしています。今までに様々な利用者・家族と係りを持ちながら仕事をしてきました。利用者家族からの様々な相談にも微力ながら答えてきました。「一人で抱え込まずに周りの人も巻き込んで・…」「せっかく福祉サービスがあるので上手に利用しながら・…」「まずは介護認定を受けてから・…」など相談内容に合わせて上司や同僚にアドバイスをもらいながら冷静に返答をしてきたつもりでした。しかし、自分が介護者となり父の介護に携わるようになると冷静な判断がいかに難しく、ここまで感情が先行してしまうものかと実感させられました。

 父は面倒見がよく、とてもプライドの高い人でした。その父が抗がん剤を投与されるたびに目に見えて弱っていきました。先週までは出来ていた事が今日は出来ない。昨日までは大丈夫だったことが朝起きたらできなくなっている。とても辛い現実を目の当たりにする日々が続きました。家族もその現実を見るたび、父の出来ないことが増えて行くたびに介護に対する負担が増えていきました。ですが私は積極的に福祉サービを利用しようとは考えませんでした。最後まで介護認定さえ受けさせませんでした。あれほど利用者や利用者家族に勧めていたのに。

 父が初めて排泄の失敗をした時、何気なく介護認定を受けてみないかと話をしてみました。間髪入れずに「絶対に受けない!」との返答でした。

 父が転倒し歩行が困難になったとき、私費でも来てもらえるとてもいいヘルパーさんがいるけどどうだと勧めてみました。「他人の世話にはならない。できる事は頑張って自分でやるから」と懇願されました。私を含め妻も母もある意味限界に近い状況でした。

 この状況が他人であり、相談を受ける側だったならば直ぐに第三者の力を借りて、サービスを利用して等と返答をしていたと思います。

 どうして我が父の場合は出来なかったのか?「父の思うように過ごさせてやりたい」「先が短いのに嫌だと言う事をしなくても」という思いがあったのは事実ですが、今、思うと介護する側は第三者の力が確実に必要だったと理解できます。ですが介護の真っただ中、まして老い先短いと解っている肉親の言葉を聞くと冷静な判断が出来ない状況に追い込まれていたことも事実です。今まで接してきた介護者の方、現在もかかわりのある介護者の方たちもこの頃の私の気持ちと同じなんだ、と初めて気づくことができました。

 振りかえってみると早めに認定を受け、サービスを導入していれば父も家族ももう少し有意義な時間を過ごせたかもしれないと考えることもあります。

 父は最後まで威厳をもってこの世を去りました。そんな父が最後に高齢者福祉に携わる私に身をもっていろいろな事を教えてくれました。「頭で考えるだけでは本当の介護者の気持ちは理解できない。お前は今まで理解しているつもりでいるだけだったんだぞ!」と。

 今後もいろいろな介護者の方たちと係わっていくと思います。すべての介護者の気持ちを100%理解することはできないですが、父を通じて学んだことを少しでも生かし、介護する側、される側、双方の本当の気持ちを少しでも汲み取ることができればと思います。(長谷川)

 最後に一言。  「お父さん、今までありがとう」息子より。