☆寄稿 距離をおいてみたら(^O^)/

 いつも、やいのやいのと、言われることは、誰しも嫌なもの。

 認知症になって、することが分からなくなった母に、次はあれをして、次はこれをして、と言っても、その言い様が普通の早さだとしても、それは新幹線に乗って車窓を流れる景色のように早い、早いと感じているのでしょう。

 認知症の人が、することが分からず 一生懸命に何かをしようとしています。その行動は、これまで自身が行ってきたことの記憶、慣習から導きだされた行為なんです。でも、傍から見ると、「何をしているの、早くして、もうこんな時間だよ、いい加減にして」 となります。

 介護者の感情は高ぶり、言い方もきつくなり、声高になってしまいます。言われた認知症の人も、そこは人、売り言葉に買い言葉で
はありませんが、同じように感情は高まり、喧嘩腰のやり取りが始まります。

 こうなっては、お互い引きませんから、段々エスカレートします。

 何回かこうした場面を繰り返していると、少し離れる術を知りました。

 ちょっと、その喧嘩腰の場面から介護者が、退散することです。頭を冷やす時間をとってみました。介護者がクールダウンした後、当人の部屋をのぞくと、落ち着いています。そこで話題を変えて話し出すと、今度はうまく流れていきます。

 介護者の感情は、認知症の人にすぐに伝わるみたいです。介護者の感情もいつも平静ではありませんので、優しく接することが良いことは承知していますが、なかなかそうはいかないときもあります。そんなときに限って、双方が感情的になって喧嘩になってしまう確率は高いものがあります.

 これは喧嘩になりそうだという時は、ちょっとその場を離れ、安全を確認しながらですが、ほっとくこともありです。そのあと、また、うまく流れだすことが往々にしてあるようです。(旅の宿)

☆寄稿 介護記録を残す意義

本の写真 私は6年前、妻との共著で「母の介護記録」を出版しました=写真。11年から19年まで認知症の母を日中はデイサービスに支えられて在宅介護を続けた記録です。施設とやり取りしたA5判のノート30冊の中から抜粋したもので、A4判90ページの冊子です。母には申し訳ない気もしましたが、後々社会の役にたてば、と出版を決断しました。

 初盆を期して少しずつ書き溜めました。書き終えて介護は下の世話が大きなウエートを占めることに気づきましたが、さすがにゲラを見た兄の要望で、下の部分はだいぶ割愛しました。

 冊子は家族の会の役員の皆さんや、介護で苦労している方に差し上げてきました。

 冊子を差し上げて、私達がどんな介護を体験したか説明を省略できます。同じ体験をした方からは共感したとの感想もいただき、短期間で同士のような気持ちになれます。

 また、記憶はどんどん風化して、自分の都合のいいように変わっていくものですが、一度活字にしておくと厳然たる過去の事実として確定したものが残ります。

 地区の会報に載る介護体験も記録性ではとても価値のあるものだと思います。「つどい」の常連さんの語る体験も、刻々と変わっていくことに気づかされます。多くの方の介護の履歴を整理して、介護の法則性など見つけてみたいと念じています。(SK)