INDEX
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5. な す 編 . 6. い ち ご 編 . 7. す い か 編 . 8. ピーマン編 . |
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13. シクラメン編 . 14. ユ リ 編 . 15. ぶ ど う 編 . |
表−@ 土壌PHと肥料要素の溶解利用度 |
土壌中の肥料成分はその土のpHにより溶ける量は変化します。太い部分は良く溶ける事を示し、 細くなるに従って溶け難くなる事を表しています。全ての成分がバランス良く溶けるpHは6.8(赤い線の位置)です。 しかしながら、果菜栽培に於ける分析表に示す数値は300坪圃場の土壌の平均を示しています。 また、この分析に使う検体土壌試料は10箇所以上の場所から同一量を採取するのが原則です。 そこで、この土壌の分析のpHが6.8の場合、この検体には7.2以上も含まれれば6.0もあるということです。 それでは出来の悪い処が部分的に発生すると言う事ですので、 圃場全体を良作とするには、pH6.2〜6.5とした方が良いと言う事になります。 尚、この図にはアンモニア態としての窒素と硝酸態としての窒素があります。硝酸態窒素はpHに関係なく良く溶ける、という事を特に留意して下さい。 |
写真−@ 細胞−1 |
植物の葉の断面を顕微鏡写真で撮影したものです。このように細胞膜は二重にも、三重にもなっているのが良く理解できます。 |
写真−A 細胞−2 <フリージア> |
フリージアはチューリップなどとは違い、球根だけの栄養で花を咲かす事は出来ません。土壌中の肥料成分を十分に吸収しながら生育します。 ところが時々、冬の厳しい寒波を受けますと、この様に葉の幅が部分的に狭くなる( ▲印部)事があります。 このような現象は石灰が欠乏した土壌で多く見られます。 正常な部分とこの不具合な部分の断面を顕微鏡で観察しました。 |
写真−B 細胞−3 <フリージア> |
植物の葉の正常部分の断面を顕微鏡写真に写したものです。 亀の甲の細胞がきれいに並んで、あたかも万華鏡を覗いたような美しい幾何学的な構造をしています。 |
写真−C 細胞−4 <フリージア> |
この写真は写真−Aの狭くなった部分の断面顕微鏡写真です。 写真−Bのような美しい幾何学的な模様はありません。空洞と変形した細胞だけで形成され、亀の甲型の細胞はどこにも見当たりません。 |
写真−D 細胞−5 |
これは細胞の模式図です。 真中の細胞は水色の中層と呼ぶ層で上下・左右の細胞としっかり繋がっています。この水色部分の中層には、 ペクチン酸と結合した石灰(Ca)や苦土(Mg)が含まれています。 この石灰や苦土がセメントの壁のような役目をして上下・左右の細胞と真中の細胞を繋げています。 それと同時に、細胞内の液(正式には原形質液と言います)が細胞の外に流出しないようにしています。 *ペクチン(pectin)とはギリシャ語pectus(ゼリー)に由来している。 |
写真−E 細胞−6 |
これは細胞の分裂過程の模式図です。 石灰や苦土が土の中に十分に含まれていると、写真左側のように親細胞は均等に分裂をして親と同じような大きさの子細胞になります。 (ソラマメの根端では、この分裂時間は19.5時間位と言います) 処が、石灰や苦土が欠乏状態の場合には、右側のように中層の数が細胞分裂と共に比例して増加しません。 そのため中層は薄くなったり(葉が薄くなる現象)、親細胞より小さくなったり(奇形果・キウリが曲がる)、 中層がないため細胞内の液が外に流出して細胞が壊死するような現象(軟果・尻腐れ・日持ち悪いなど)が出てきます。 |
写真−F 細胞−7 |
これは写真Gを別の見方をしてみました。 石灰や苦土の欠乏は、中層の欠陥細胞となって、細胞が大と小に分れたり、空洞となっていることを示した模式図です。 このように、石灰や苦土は細胞分裂、即ち植物の成長には欠くことのできないもので、 畑では元肥だけでなく必ず炭酸石灰(石灰分だけが必要の時)・炭酸苦土石灰(苦土分も必要な時)・過燐酸石灰(リン酸も必要な時) 等の追肥をしなければなりません。 その量は必ず土壌の分析を参考にし、勘に頼らないようにして下さい。 |
写真−G 細胞−8 <キウリ> |
これは四葉(キウリ)の断面写真です。 凹凸、各側の種子を比較してみますと、凸部の種子は大きく、凹部が小さくなっています。この現象は、 凸部の部分は表側で太陽光線量が多く、凹部は裏側で光量が少なかったためです。 土壌中の石灰が少ない故に、このような所で成分の奪い合いをしているようです。 凸部は細胞分裂が盛んなために石灰をより多く要求しながら生育は進みます。凹部は生育が進まなかったものです。 そのため凸部の種子や細胞の方が大きく、表裏で細胞は不均衡となり、湾曲したキウリとなったものです。 我々のデーターは石灰をきちんと投入すれば曲がりの率は激減しました。 |
写真−H 細胞−9 <フリージア> |
葉の先が黄化しているフリージアの先端部の断面写真です。この断面は写真−Iと同じ倍数の顕微鏡で見たものです。 植物は加里欠乏になれば葉の先端が必ず黄化してきます。加里は水分の調節をしていますので加里が欠乏しますと、 水分が不足して植物は乾し上がったようになり、細胞も小さくなっています。 同じ倍率の顕微鏡で見ても判るように、殆ど細胞の形をしていません。 |
写真−I 細胞−10 <フリージア> |
加里欠乏の葉の先端の表面を顕微鏡で見たところです。先端の表面細胞はなくなっています。 |
写真−J 細胞−11 <ネギ> |
これはネギの加里欠乏です。先端は最初黄化し、次第に白くなってきます。 この場合の処置として、硫酸加里または塩化加里を10a当り約20kgを追肥しますと、加里欠乏は解消されます。 |
写真−K 細胞−12 |
葉が黄色くなる原因を調べてみます。先ず、葉がグリーンになるには葉緑素が必要です。 その中には窒素が4分子と苦土が1分子含まれています。このどちらかでも欠乏すれば葉は黄化することになります。 次に葉緑素は葉緑体でつくられますが、この葉緑体には鉄・マンガン・銅と蛋白質が化合しているものがそれぞれ12・2・6分子含まれています。 この金属の存在があって、初めて葉緑体の中で葉緑素が作られますが、このような金属が不足しますと葉緑素の作られる量は減少します。 例えば、鉄が欠乏すれば光合成量(炭酸同化作用)は51%に減少をすることになります。 更に亜鉛も欠乏することになればそれは38%にまで減少することになります。 |
写真−L 細胞−13 |
葉が黄色くなる原因その2。 石灰や苦土が欠乏すると、なぜ葉は黄化するのかというのを、ここでは図に示します。 一言で言えば、細胞内の原形質液が細胞の外に流出し、同時に葉緑素も一緒に流出してしまいます。 そのためその細胞は壊死してしまい、空洞となり黄化していくという経路を辿っていきます。 |
それでは健全なものを栽培するには、どのように肥料を作って与えれば良いか、その方法は
液肥の自家調整を参考にして調製して下さい。元肥には果菜栽培に使用する肥料一覧表
から必要なものを選定して市販のものを使うと良いでしょう。その場合、袋の裏側に書いてある保証成分表を必ず確認して、
投入量をしっかり把握しておく必要があります。肥料は施肥するタイミングがすごく大事です。収量の多い場合にはそれだけ多くの成分を必要とします。
また、夏と冬では収穫までの日数も違います。夏は当然のこと早いタイミングで施肥することになります。
施肥量の目安は、栽培圃場から持ち出す物の合計量つまり、収穫物+選定枝や収穫後の葉・茎その他+雑草などです。 植物の場合、水分は90〜85%です。だから乾燥物(灰分)は10〜15%となり、その量が施肥成分量と考えても良いでしょう。 唯、何も考えずにこのような量を投入すると失敗します。そこには正確な土壌分析の必要性や潅水のタイミングやその量、 そして用水や土壌のPH調整などです。その上、代謝を促進するよう微量要素の加え方などを綿密に考える必要があるのです。
以上のような事を念頭に置きながら栽培した結果、苺収穫データー(T・K農園)を見てみると 収穫量5200kg+持ち出した苺の残渣(不明)× 15% = 780kg、 一方施肥成分量は29.52+63.88+15.40+112.59+521.16+19.42+微量要素(?)+空気中の要素(?) =761.97kgでほぼ同量になります。
この理屈は、化学式と同じと考えても良さそうです。 つまり、水は水素2分子と酸素1分子(H2O=H2+O)で成り立っています。 これは、収穫量+廃棄した残渣植物体=吸収された栄養分(土壌中の栄養分+加えた栄養分)・・・・これで土は安定し栽培も上手く行く訳で 、左辺も右辺も分子量は同じになるのが大原則、これを化学では“質量保存の法則”と習います。 化学の世界に“若しかしたら”等の偶然性はありません。この考え方はこの当時不十分ではあったものの、1648年に ヘルモントが光合成の研究論文として生物史に残る“柳の木の理論” を発表して以来、変わってはならないと思います。
現代農業は化学肥料を拒否し、有機物だけの成分に頼ろうとしています。 このような状況下で栽培を続けると毎年収量減となるのは至極当然な成り行きであります。 この収量減は言い換えれば、搾取農業(収穫だけして養分を畑に返さない)の典型的な結果でもあります。
■ 農芸化学の先駆者“リービヒ”の翻訳本が出版されました。今から150年ほど昔の1862年には既にこの考え方を唱えています。
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『 最後に・・・ 』
私が思うには最近の食に対する風潮は、農薬と化学肥料とを混同しているのではないかと思えます。
消費者の方々が食の安全性を求めようとするのは当然な事なのですが、 農業にとって有益なこのような化学肥料までも拒否する消費者の意見だけを安易に取り入れるような事ではいけないと思うのです。 そこには、安全で、効率的で、そして満足な収量による十分にコストの下がった野菜を供給するには、 生産者の立場からこのような化学肥料の必要性を主張しなければならないと思いますし、また 説得する努力をしなければならないと思います。
かって、日本経済の事をエコノミックアニマルと揶揄されて来ました。 この言葉は外国から見た妬みと皮肉の言葉だと思います。反面、裏を返せば、これは日本企業が技術(生産管理・品質管理)と製品コストで 世界の経済を席巻しリードしてきた象徴の言葉でもあります。 しかしながら、そうした舞台裏には常に乾いた雑巾を絞るような生存競争をして来たのが日本経済の現実であります。
日本企業の努力が今の中国と決定的に違うのは、日本はそこに働く人の給料も上げながら、 そして公害も少なくなるようなコストをかけながらやってきたという事実であります。今の中国のように技術は他国がら殆ど開発資金 なしで導入する、公害は垂れ流し、人件費は上げない、その結果貧富の差や地域の貧富差が生じる、このような努力とは明らかに違います。
日本の農業もこのようなことを踏まえて、経済の業界そして医学・医療の業界などのように、研究者も生産者も農業に携わる人は皆一度原点に戻って、近代農芸化学史以来リービヒのような先人が解明してきた、例えば トベネックの樽の法則・Trougの表等のような農芸化学の基礎理論を理学者の知識も借りながら、 現代流に考え直してみる必要があると思います。