禅 無門関


現代に生きる無門関 全48則

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文章が長いと思われた方は、ダイジェスト版 をご覧ください。

第1則
趙州無字
犬にも仏の性があるか、と問うたら「無」と答えた。
無。何もないとはどういうことかを考えます。
第2則
百丈野狐
悟った者は因果に囚われないと言ったら野狐に堕ちた。
世の中の全ては、原因と結果だけで説明できるものでしょうか。
第3則
倶胝堅指
何か問われるといつも指を一本たてる和尚がいた。
質問者に対し、そこだ、と投げ返してくる質問の意味は?
第4則
胡子無髭
何故達磨には髭がないのか。
達磨には立派な髭があります。何故ないと言うのでしょう。
第5則
香巌上樹
枝を咥えてぶら下がっており、問いに答えれば落ちる。
真の答は、突きつけられた選択肢の中にはないかもしれません。
第6則
世尊拈花
釈迦は迦葉に一枝の花を見せて悟らせた。
わかる者には判る、わからない者には判らない。
第7則
趙州洗鉢
粥を食べたら鉢を洗っておけと言われた。
習慣、義務、惰性でやっていたのでは意義はありません。
第8則
奚仲造車
車から車輪や軸を外していったらどうなるか。
車両という概念はどこから現れ、どこで消えるのでしょう。
第9則
大通智勝
大通智勝仏は何故成仏しないか。
希望を抱いて旅を続けている方が幸せなのだと言われます。
第10則
清税孤貧
銘酒をたらふく飲んでまだ足りないのか。
何を求めるかがなく欲望だけ残る状態が不安心をもたらします。
第11則
州勘庵主
同じように拳をたてる二人の庵主に差を見た。
大事なのは同じ対象物に同じ反応をすることではないでしょう。
第12則
巌喚主人
目を覚ましているか、と自問自答している僧があった。
問いかけている自分、それもまた自分でしかありません。
第13則
徳山托鉢
早く食堂へ出てきた和尚を弟子がたしなめた。
誰にでも学び、自分のものとして取り入れる心が大事です。
第14則
南泉斬猫
猫を前にして弟子が何も言えず和尚は猫を斬った。
師弟に囚われない真摯なぶつかり合いが求められます。
第15則
洞山三頓
これまでの旅程を話したら飯袋と言われた。
環境を受け入れるだけでは、環境が許す安心しか得られません。
第16則
鐘声七条
何故合図の鐘が鳴ったら出て行くのか。
悟ったからといって、外部からの働きかけは無視は出来ません。
第17則
国師三喚
三度呼んで三度返事をしたのが何故悪いか。
決まりきった反応ではなく、臨機自在に対応すべきでしょう。
第18則
洞山三斤
仏とは何かと問うたら、麻三斤と答えた。
人間は自然と深くかかわり合っています。
第19則
平常是道
平常心が道だ。
平常心であろうと努力することは、平常心ではありません。
第20則
大力量人
力のある人が何故立たないか。
出来るということと、それを行うこととは別の問題です。
第21則
雲門屎厥
仏とは何かと問うたら、糞かきへらと答えた。
悟っても、生命としての営みは無視できません。
第22則
迦葉刹竿
釈迦は何を伝えたかと問うたら、旗竿を倒せと言われた。
ここまでの所が判ったか、との無門和尚の関門です。
第23則
不思善悪
善悪を思う以前の自分とは何か。
自分の心は、いつ生まれ、いつプログラムされたのでしょうか。
第24則
離却語言
有言無言を問うたら、江南の春と答えた。
例えは自分の解釈でなく、相手がどう受け取るかでしょう。
第25則
三座説法
夢で仏達に説教をした。
誰からも学ぶ、ということは時には学ばれる立場になります。
第26則
二僧巻簾
簾を巻き上げた二人の僧に一得一失と言った。
大事なのは先を見通すことであり、その過程ではありません。
第27則
不是心仏
心でも仏でも物でもない。
心、仏、物は、全て一つの「場」の中で動いています。
第28則
久響龍潭
蝋燭を吹き消したら悟った。
自分の目で見通せるようにならねばならないのです。
第29則
非風非幡
旗が動くのでも風が動くのでもない、心が動くのだ。
誰も見てない場所で崩れた砂の塔に、音はあったでしょうか。
第30則
即心即仏
心がそのまま仏である。
本当の心は、言語思考の裏にある非言語で思考する心でしょう。
第31則
趙州勘婆
道案内された通りに行くとからかう婆を見切った。
受け入れた情報は自分のものとして咀嚼する必要があります。
第32則
外道問仏
外道は釈迦の前で何も言われずに悟った。
尻を叩かれなければ走らない馬が遅いとは限りません。
第33則
非心非仏
心でもなく仏でもない。
非言語の思考プログラムを創り出すことが大事だと思います。
第34則
知不是道
心は仏ではなく、智は道ではない。
心は産まれたままの脳には組み込まれていないでしょう。
第35則
倩女離魂
肉体と精神が分離した女があった。どちらが本物か。
本質はソフトウェアにあり、頭脳はその入れ物にすぎません。
第36則
路逢達道
達人に対しては言葉でも無言でもだめだ。
私は一歩脇によって目礼して見送るでしょう。
第37則
庭前柏樹
達磨が西方から来た理由は庭の柏の樹だ。
樹木は、地球上で最も安定した生命形態であるといわれます。
第38則
牛過窓櫺
窓を通りすぎた牛の尻尾が残った。
完全に理解したという奢りを戒めるものでしょう。
第39則
雲門話堕
人の話の受け売りをしたら、駄目だと言われた。
受け売りを完全に否定したら、言語会話すら成り立ちません。
第40則
擢倒浄瓶
水差しを何と呼ぶかと問われ、蹴倒した。
言葉の中にも否定できない真実は含まれています。
第41則
達磨安心
不安ならばその心を出してみよといわれて安心した。
心の高い次元で安定回路を組み上げることを考えます。
第42則
女子出定
三昧の境地から出ない女子を低い位の菩薩が出した。
煩悩も失敗も、共に受け入れる広い心になっているべきです。
第43則
首山竹箆
竹箆と呼ばなければそれを何と呼ぶか。
名前に縛られてしまってはだめでしょう。
第44則
芭蕉主杖
杖を持っているならやろう。持っていないなら奪おう。
学んだことに頼っている段階ではまだ不十分なのです。
第45則
他是阿誰
釈迦は誰のしもべか。
禅は心の拠り所を示さず、個人に投げ返してきます。
第46則
竿頭進歩
百尺竿頭一歩を進めよ。
登り続ける竿の先には頂点はないのでしょう。
第47則
兜率三関
死んだらどこへ行くか。
無門和尚は最後に、この課題を真っ向から掲げています。
第48則
乾峯一路
扇子が跳び鯉の頭を一撃すると大雨になる。
無に始まり、物質と宇宙を支配する大きな因果に至る壮大なテキスト無門関は、大きく巡って目の前の空間に戻り、ここに幕を降ろします。

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