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第1則 趙州無字 |
犬にも仏の性があるか、と問うたら「無」と答えた。
無。何もないとはどういうことかを考えます。
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第2則 百丈野狐 |
悟った者は因果に囚われないと言ったら野狐に堕ちた。
世の中の全ては、原因と結果だけで説明できるものでしょうか。
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第3則 倶胝堅指 |
何か問われるといつも指を一本たてる和尚がいた。
質問者に対し、そこだ、と投げ返してくる質問の意味は?
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第4則 胡子無髭 |
何故達磨には髭がないのか。
達磨には立派な髭があります。何故ないと言うのでしょう。
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第5則 香巌上樹 |
枝を咥えてぶら下がっており、問いに答えれば落ちる。
真の答は、突きつけられた選択肢の中にはないかもしれません。
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第6則 世尊拈花 |
釈迦は迦葉に一枝の花を見せて悟らせた。
わかる者には判る、わからない者には判らない。
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第7則 趙州洗鉢 |
粥を食べたら鉢を洗っておけと言われた。
習慣、義務、惰性でやっていたのでは意義はありません。
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第8則 奚仲造車 |
車から車輪や軸を外していったらどうなるか。
車両という概念はどこから現れ、どこで消えるのでしょう。
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第9則 大通智勝 |
大通智勝仏は何故成仏しないか。
希望を抱いて旅を続けている方が幸せなのだと言われます。
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第10則 清税孤貧 |
銘酒をたらふく飲んでまだ足りないのか。
何を求めるかがなく欲望だけ残る状態が不安心をもたらします。
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第11則 州勘庵主 |
同じように拳をたてる二人の庵主に差を見た。
大事なのは同じ対象物に同じ反応をすることではないでしょう。
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第12則 巌喚主人 |
目を覚ましているか、と自問自答している僧があった。
問いかけている自分、それもまた自分でしかありません。
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第13則 徳山托鉢 |
早く食堂へ出てきた和尚を弟子がたしなめた。
誰にでも学び、自分のものとして取り入れる心が大事です。
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第14則 南泉斬猫 |
猫を前にして弟子が何も言えず和尚は猫を斬った。
師弟に囚われない真摯なぶつかり合いが求められます。
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第15則 洞山三頓 |
これまでの旅程を話したら飯袋と言われた。
環境を受け入れるだけでは、環境が許す安心しか得られません。
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第16則 鐘声七条 |
何故合図の鐘が鳴ったら出て行くのか。
悟ったからといって、外部からの働きかけは無視は出来ません。
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第17則 国師三喚 |
三度呼んで三度返事をしたのが何故悪いか。
決まりきった反応ではなく、臨機自在に対応すべきでしょう。
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第18則 洞山三斤 |
仏とは何かと問うたら、麻三斤と答えた。
人間は自然と深くかかわり合っています。
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第19則 平常是道 |
平常心が道だ。
平常心であろうと努力することは、平常心ではありません。
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第20則 大力量人 |
力のある人が何故立たないか。
出来るということと、それを行うこととは別の問題です。
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第21則 雲門屎厥 |
仏とは何かと問うたら、糞かきへらと答えた。
悟っても、生命としての営みは無視できません。
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第22則 迦葉刹竿 |
釈迦は何を伝えたかと問うたら、旗竿を倒せと言われた。
ここまでの所が判ったか、との無門和尚の関門です。
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第23則 不思善悪 |
善悪を思う以前の自分とは何か。
自分の心は、いつ生まれ、いつプログラムされたのでしょうか。
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第24則 離却語言 |
有言無言を問うたら、江南の春と答えた。
例えは自分の解釈でなく、相手がどう受け取るかでしょう。
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第25則 三座説法 |
夢で仏達に説教をした。
誰からも学ぶ、ということは時には学ばれる立場になります。
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第26則 二僧巻簾 |
簾を巻き上げた二人の僧に一得一失と言った。
大事なのは先を見通すことであり、その過程ではありません。
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第27則 不是心仏 |
心でも仏でも物でもない。
心、仏、物は、全て一つの「場」の中で動いています。
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第28則 久響龍潭 |
蝋燭を吹き消したら悟った。
自分の目で見通せるようにならねばならないのです。
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第29則 非風非幡 |
旗が動くのでも風が動くのでもない、心が動くのだ。
誰も見てない場所で崩れた砂の塔に、音はあったでしょうか。
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第30則 即心即仏 |
心がそのまま仏である。
本当の心は、言語思考の裏にある非言語で思考する心でしょう。
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第31則 趙州勘婆 |
道案内された通りに行くとからかう婆を見切った。
受け入れた情報は自分のものとして咀嚼する必要があります。
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第32則 外道問仏 |
外道は釈迦の前で何も言われずに悟った。
尻を叩かれなければ走らない馬が遅いとは限りません。
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第33則 非心非仏 |
心でもなく仏でもない。
非言語の思考プログラムを創り出すことが大事だと思います。
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第34則 知不是道 |
心は仏ではなく、智は道ではない。
心は産まれたままの脳には組み込まれていないでしょう。
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第35則 倩女離魂 |
肉体と精神が分離した女があった。どちらが本物か。
本質はソフトウェアにあり、頭脳はその入れ物にすぎません。
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第36則 路逢達道 |
達人に対しては言葉でも無言でもだめだ。
私は一歩脇によって目礼して見送るでしょう。
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第37則 庭前柏樹 |
達磨が西方から来た理由は庭の柏の樹だ。
樹木は、地球上で最も安定した生命形態であるといわれます。
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第38則 牛過窓櫺 |
窓を通りすぎた牛の尻尾が残った。
完全に理解したという奢りを戒めるものでしょう。
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第39則 雲門話堕 |
人の話の受け売りをしたら、駄目だと言われた。
受け売りを完全に否定したら、言語会話すら成り立ちません。
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第40則 擢倒浄瓶 |
水差しを何と呼ぶかと問われ、蹴倒した。
言葉の中にも否定できない真実は含まれています。
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第41則 達磨安心 |
不安ならばその心を出してみよといわれて安心した。
心の高い次元で安定回路を組み上げることを考えます。
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第42則 女子出定 |
三昧の境地から出ない女子を低い位の菩薩が出した。
煩悩も失敗も、共に受け入れる広い心になっているべきです。
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第43則 首山竹箆 |
竹箆と呼ばなければそれを何と呼ぶか。
名前に縛られてしまってはだめでしょう。
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第44則 芭蕉主杖 |
杖を持っているならやろう。持っていないなら奪おう。
学んだことに頼っている段階ではまだ不十分なのです。
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第45則 他是阿誰 |
釈迦は誰のしもべか。
禅は心の拠り所を示さず、個人に投げ返してきます。
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第46則 竿頭進歩 |
百尺竿頭一歩を進めよ。
登り続ける竿の先には頂点はないのでしょう。
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第47則 兜率三関 |
死んだらどこへ行くか。
無門和尚は最後に、この課題を真っ向から掲げています。
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第48則 乾峯一路 |
扇子が跳び鯉の頭を一撃すると大雨になる。
無に始まり、物質と宇宙を支配する大きな因果に至る壮大なテキスト無門関は、大きく巡って目の前の空間に戻り、ここに幕を降ろします。
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