至好回路雑記過去ログ2007.08〜12
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▼2007/12/27 (木)
□水樹奈々のライブ行って来た。
もう三日前になってしまいましたが24日に仙台まで水樹奈々のライブにいってきました。
更新遅いのは日帰りで深夜帰宅かつ次の日仕事でへたばっていたからです。
でもライブはとても楽しかったのです。
実は声優のライブというものに参加したのは、初めてだったりします。
今回ライブにいったのも、今年の4月にリリカルパーティに行ったのがきっかけではあるんですが、今までそういう方面にあまり興味がなかったので、新鮮でした。
ちなみにセットリストをネットでチェックして当日歌われる歌を予習して参加したんですが、そのなかに「BRAVE PHOENIX」が入ってなかったので、今回は歌わないいんだろうなーと思っていたら、MCで「今日はクリスマスイブですね、イブといえばリリカルなのはA’sという作品で・・・」という前置きで、「BRAVE PHOENIX」が始まったときは、めちゃくちゃ興奮しました。
ライブにハマる人の気持ちが理解できたような気がします。
声優のライブでサイリウム振って絶叫するなんて自分のキャラじゃないとずっと思っていたんですが・・・
自分のなかのなりたい自分、信じて可能性ということで、まああこういうのもありかなと。
▼2007/12/22 (土)
MAICOのDVDBOXきたー
Amazonでジャケ絵がこないのであげときます。
中はこんなん。6枚組みで1ケース2枚づつ収納、
イラストは裏表で以前発売されたDVDと同じモノと思われる。
箱の裏と封入特典の設定資料、設定資料は作中にでてくる数々の小道具が載ってて秀逸。
あと映像特典で「ゆきえちゃん☆らくちんらくちん」もあった、というか昔だしたDVDと同じソースでそのままプレスしてるっぽい。
昔の方は中古で2巻までしか手に入らなかったので、この仕様はありがたい。
▼2007/12/16 (日)
先日、サイトの閲覧者さまから、「至好回路さんがかみちゅとかコメットさん☆が好きなのはわかるけど、なんでリリカルなのはが好きなのか理解できない」というような趣旨の疑問をいただきました。
なにゆえ「なのは」にハマッたかは魔法少女リリカルなのは分析室のまとめの項を読んでいただくのが一番良いとは思うのですが、その方の疑問は作品的にどうというより、私が「至好回路」として今まで書き散らしてきた事や評価してきた作品の傾向から見て、「リリカルなのは」が「異質」に見えるからなのかもと思いました。
当初からからサイトで、演出がー、作画がー、シナリオがーと吼え続けて来たにもかかわらず、StSに至っては、それらが全部ダメでもとりあえず「好きだから続編見たいです」といっちゃうくらいの信者ぶりをみれば、まあ「今まで言ってたことと矛盾するじゃん」と思われても仕方ありません。
これは説明責任を果たすべきに違いないと思い、以下その疑問に答えてみようと思うわけですが、半分は自分語りなので、読み飛ばし推奨です。
結論から言うと自分にとって「リリカルなのは」は第二の「NG騎士ラムネ&40」なんです。
たぶん昔からの友人はこれだけで理解してもらえると思いますが、そうでない大多数の方にはわけがわからないと思いますので順を追って説明します。
現在の自分を形成する要素というのはまあ色々あるのですが、元々アニメにはまるきっかけが、宮崎駿の作品(まだ「ナウシカ」や「ラピュタ」の時代」)や押井守の作品に衝撃を受けたことにあって、そこから作画とか演出とか制作サイドの方面に興味を持つようになったというのが、大きな柱として存在するわけです。
同時に子供のころから見ていたロボットアニメとか魔法少女ものとかいった類のものにも強い愛着を持っています、この二つの側面が「至好回路」を特色付けてきたと思うし、前者は意図的にサイトの特色としてきたというのもあります。
しかし、一方でこの二点とは別に、決定的にオタクの道から出られなくなってしまったきっかけというのがありまして、それが「NG騎士ラムネ&40」との出会いでした。
ちょうど中学から高校にあがる頃で、アニメへの傾倒も深まろうといった時期に、いわゆる「キャラ萌え」でどっぷりはまることになる最初の作品で、グッズやCD、声優、ビデオ、LD、同人誌、ラジオなどなどオタクとして一度は通る道を大体これで経験しオタク的娯楽をエンジョイしまくった作品でもあるわけです。
要は普通にキャラ萌えでアニメ見ることもあるんだけど、サイトを立ち上げる際に、「萌え」偏重の時代に、キャラ萌え語りのサイトをつくってもつまらんという考えからそこはあえて封印してきたのと、割と自分はキャラ萌えの沸点が高くて、しかもほとんど冷めない性質なので、本気でキャラ萌えする作品というのは、少ないというのもあります。
そもそも「コメットさん☆」や「かみちゅ」をキャラ萌え的な視点で見てないかといえば、そんなことはないわけです。同人誌とかも買ったりするのですが、そういう「市場」が大きくないので盛り上がらないし、キャラ萌えが重視されている作品というわけでもないので、そういう楽しみ方をあまりしないというだけに過ぎません。
ところが「なのは」は元から「キャラ萌えしてください」というタイプの作品で、消費を加速させるための市場が最初から用意されていて、しかも同人・二次創作でもかなり人気がある作品。そういう作品にぶちあたるということが自分としてはとても珍しい、珍しいからこそ、つい全力で楽しんでしまっているわけですが、そういう作品っていうのが、「NG騎士ラムネ&40」以来なのです。
だから第二の「NG騎士ラムネ&40」というわけ。
それでもなんで「リリカルなのは」なのかと疑問をもたれてしまうのは、「リリカルなのは」が如何にもオタクっぽいルックスのせいなのかなという気がします。
何せエロゲが元のオタク向け魔法少女モノパロディなわけですから。しかも概してそういう作品は、如何にもでアイタタな内容と出来だったりしますもんね。
ただ作品の外枠だけでならそう見えるのだけれど、実際のところ、リリカルなのは「オタク向けなんだけど子供向けアニメっぽい」ところがあり、それが、今ほどジャンルが細分化されていない90年代中ごろまではけっこう存在していた「子供向けの作品なんだけどオタクだ喜びそうな要素がいっぱいなアニメ」と近い匂いを感じて
しまっているんです。
「子供向けの作品なんだけどオタクだ喜びそうな要素がいっぱいなアニメ」とは例えばロボットものなら魔神英雄伝ワタル、勇者シリーズやエルドランシリーズ、魔法少女系ならセーラームーンとかの系譜です。
この時代の(80年代中期から90年代初期)の特徴ですが、もともと子供向けとしてTVシリーズが制作され、アニメファンの人気が高まり続編をOVAで出すという流れがあったりします。
「NG騎士ラムネ&40」もその中のひとつでありつつ、もともと子供向けながら、パロディが多用され子供より圧倒的にアニメファンに支持されてしまったという、ある意味時代の特徴を表したような作品でした。
言ってしまえばこの時代は、OVAを除けばばなんだかんだいってもアニメのメインターゲットは子供で、その中で中高生のアニメファンを意識した内容を盛り込む作品が多かったということなのですが、そんな時代の作品が結局自分は一番好きなんです。
逆に今はジャンルが細分化されて年齢や対象が限定的な作品が多く、オタク向け作品の主流は、美少女系ゲームの流れを組む恋愛モノか、ラノベ原作の流れを組む学園・ファンタジー系かで大体オタクの需要を満たしてしまっているのですが、個人的にそっちの流れには特に思い入れというかフックになるものがないので、興味が薄れつつあったりします。
そういう状況の中で登場した「リリカルなのは」は自分が好きだった90年代前半の系統を色濃く受け継いだ作品としてみていて、「子供向けの作品なんだけどオタクが喜びそうな要素がいっぱいなアニメ」というものに余り期待できない現在、逆アプローチ的な「オタク向けなんだけど子供向けアニメっぽい」作品の存在は、希望と期待をもたせてくれている、というのが「リリカルなのは」を支持している理由の一つともいえると思います。
「なのは」って割とヒットしているんだから追随する作品が出てきても言いと思うんだけどなあ、と。
とまあ、「リリカルなのは」に入れ込んでいる理由というのは、こんな感じです。
あとは、あれかな「なのは」を見ている時は、小賢しい知識とか批判的視点とか横に置いといて、気分的に中学生くらいに戻って楽しんじゃっているという事態が、自分自身驚きであり、重要なんだと思います。
余談
「リリカルなのは」は第二の「NG騎士ラムネ&40」という論理展開を思いついてから気づいたんだけど、両者ともキングレコード=スタチャ系であることに愕然とした。
大月Pじゃないのが救いだけど、あれだけ搾取されたスタチャにまた搾取されてんのかおれ、進歩ねーw
あんま関係ないかもしんないけど、「なのは」もよくよく考えるとあの時代の「スタチャ系」の匂いはかんじるよなあ。
▼2007/12/03 (月)
□「電脳コイル」最終回に寄せて
自分がなのはStsの感想で書いたことをもう一回かかなくちゃいけないようなので、あえて引用しますよ。
>舞台や世界観、キャラ等の設定を作って、その設定された情報を段階的に開示し、説明することがイコール物語を語ることだという勘違い、意外とこれをやってしまっている作品は多いのだけどその罠になまってしまっている。
少なくとも自分が視聴者として見たいのは、世界観や設定そのものではなく、そこに置かれたキャラの行動とその結果、キャラの心理的葛藤やキャラ同士の関係性とその変化なんだけどなぁ。
電脳コイルに関しては、前半1クールでは、意外と上手くやっていたと思う。
しかし最終展開に突入してからは、矢継ぎ早にキャラが設定説明を口走りながら、物語を進行させて、一番見せて欲しい、ヤサコとイサコの関係、心情もすべて台詞で回収しておしまいって、そりゃないだろーと。
ぶっちゃけ、イマーゴがどうとかメガマスがどうとか企業の裏の話なんざどうでもいいんだ。
あと、不満を言わせてもらうと、電脳コイルって「ジュブナイル」じゃなかったんだなあ、と。
結局やりたかったことは、電脳SFで、そこに都市伝説とかオカルトチックな要素を足した話を書くことで、それをやるのに小学生をメインに置くのが都合が良かったって事かな。
後半戦に入ってから、フミエ、ダイチ、大黒黒客のメンバーなど子供達が完全に空気化で物語に絡まないってどうよ?フミエがヤサコの手助けしないって薄情すぎません?
オバチャンとかメガばあとかお父さんとか、なんか大人ばっかり活躍しているように見えてちっとも心躍らない。
子供達が子供達の世界のなかで自分達の力で、事件を解決してこそ、「ジュブナイル」なわけで、全然「ジュブナイル」してねえ!というのが一番の不満です。
とりあえず、1クールくらいまでは凄く良かった、ヒゲとかクビナガリュウのイリーガルが出てくる自由研究やってたころが一番面白かったです。
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電脳コイル 第4巻 限定版
折笠富美子.桑島法子.矢島晶子.朴ろ美.小島幸子.斉藤梨絵.鈴木れい子.野田順子.小林由美子.梅田貴公美 磯光雄
バンダイビジュアル 2007-12-21
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▼2007/11/25 (日)
□『魔法少女プリティサミー』が語られない理由
まあ、確かに語る機会はあまりないですが、当時を知る人間に与えた影響は案外大きい作品だと思います。
人気があったのは事実で、自分は正直、本編の天地無用よりも好きでした。
現在あまり語られなくなっているのは、作品が作品だけに内輪でのファンの人気に限られてしまったというのが、あると思います、で当時を知るファンが既にリタイア気味なのかなぁという印象もあったり。
ただ、「魔法少女プリティサミー」という作品は、魔法少女モノとして、ぴえろ系の魔法少女モノからセーラームーンへの変身美少女バトルものへの変化を取り入れ、女玩モノだった魔法少女モノをオタク向けにカスタマイズしかつ、魔法少女モノのパロディとして終わることなく、友情というテーマを軸に魔法少女モノとしての王道をはずさなかった、という最初の作品であり、これは、稀有な例で、これと同じことを成し遂げる作品は、「リリカルなのは」の登場を待たなければならなかった、という意味でも非常に重要な作品でもあるわけです。
といった具合に、魔法少女モノを語るときには、常に言及されるべき作品ではあるので、機会さえあれば、語ることはできるのですが、そんな事を語るのは、魔法少女モノを好んでみる一部の好きモノだけだからなあ。
比較で言えば「リリカルなのは」もシリーズが完全に終了してしまえば、10年後には語られなくなる作品かもしれないんですよね。
現在でさえ、今年度DVDが売れた作品として上位に食い込むにもかかわらず、話題性という点であまり外に広がっているという印象がなく、熱心なファンにのみ支えられている作品ですから。
まあ「魔法少女プリティサミー」もそういう作品だったのではないかと。
□アニメコンテンツの品質と入手手段のねじれた関係
自分もこちらとだいたい同様のことを考えていました。
無料で動画配信するアニメも徐々に増えつつあるけれど、「利便性」という点で問題が多くて、自分はほとんど利用していない。
現状の動画配信サービスの問題として、
・見られる場所が分散していて目的の作品を探すのに苦労する→ログインなど手続きがめんどくさい
・画質が必ずしもよくない→その上で有料だとさらに見る気がなくなる。
・回線速度や状況で、繋がりづらいことがある→ストレスを感じる
・配信期間が限られる→時間がないとき、見逃した場合、結局見れない。
ではどういったサービスが求められるか。
・ほぼ全ての作品が一箇所のサイトで見られる。
・タグや検索でスムーズに目的の動画を簡単に探せる。
・低画質でも基本無料
・配信期間に限りがなく、いつでも好きなときに見られる
有料にするなら、高画質化、快適な接続、利便性の向上は必須だと思う。
あと月額固定で見放題がベスト。
一話いくらとか、1クールいくらとか一々金払うのはめんどくさいし割高に感じるし不便。
動画共有サイトが違法といわれつつ支持を集めている理由がわかりますよね?
結局利便性なんです。
動画共有サイトが問題あるというのなら、業界で利便性の高い動画配信サイトを作るか、現在ある動画共有サイトを積極的に、利用してコントロールしていくべきなんではないでしょうか。
▼2007/11/13 (火)
□スカイガールズは玩具アニメ的なオタク向け作品かも
http://www.konami.jp/visual/skygirls/
割と毎回楽しみに見ている本作。
監督の岩崎良明氏にしても、脚本の吉岡たかを氏にしても、オタ寄りの作品の中では良作、佳作を結構作っているので、この安定感はある意味納得ではある。
どこがいいのか聞かれると、突き抜けたところがあるわけでもないので、非常に困るが、結局のところ女の子がパワードスーツっぽいメカをまとって、空飛んでるという絵的な官能性につきるんだけど、基本的に話が一話完結で、キャラ同士の対立や葛藤が起きても、それが大体、一話の中で、起承転結で決着を着けてしまうので毎回安心してみていられるというのもポイントなのかな。
ただこの解決にいたるドラマの組み立てがお約束過ぎるので、単純で深みがないとも感じてしまうこともなくもない。設定まわりにしても、複雑さもややこしさもなく、謎解き的な要素もあまりない、シリーズの前半は戦闘すらなくキャラの身近な出来事が話の中心だったりするので、壮大なSFとかテーマとか戦闘メインで大きな物語が見たいという人には、多分食い足りないだろう。
しかし、どちらかというと、このゆるいドラマ作りは、「スカイガールズ」という素材にベストマッチしているといった方がいいかもしれない。
視聴者的には、要は「女の子」と「ソニックダイバー」が見れれば十分なわけで、そこに深刻なドラマもテーマも求めちゃいない。
温泉行ったり、無人島に流されたり、胸の大きさで盛り上がったり、そんなものの方が大切なのだ。
でも、まったくホントにそれだけの中身のないものを見せられれば、それはそれでうんざりして自分だったら視聴を切ってしまうだろう。
ベタでありがちな、友情話や親子の葛藤や、トラウマ、コンプレックスの話を織り交ぜることで、物語としての安定感が生まれて、温泉回を安心して息抜きとして楽しめる、この両輪これが大切なのだ。
一言でまとめるとスカイガールズは、「子供向けの玩具アニメ的」な、シナリオ構成をしているんじゃないかなということ。玩具アニメ的とはすなわち、商品であるキャラとメカの宣伝、子供向けというのは、一話完結でのありがちな単純なドラマで週単位で視聴者を楽しませる。実はオタク向けSF、メカ系作品でこういう作品はあまり多くないんじゃなだろうか。
SF、メカ系のオタク向け、大人向けと称する作品は、無駄に複雑な背景設定を組み立てて、謎も用意して、人間関係のドラマも複雑にしてやろうとしたはいいけど、作り手の手に余って結局破綻してしまうような匂いを放つものが多くて正直うんざりする。
スカイガールズ的な単純なわかりやすさ=玩具アニメ的な美少女メカものって、もっとあっていいんじゃないかなと思うわけです。
玩具アニメ的なオタク向け作品というと、たぶん方向性的には「リリカルなのは」も同じなんじゃないかなと思う。個人的な気分としてそういうものを求めているのかなと。
というわけで、「スカイガールズ」は女の子とメカが好きな33歳児には、ちょうどいい作品なのだ。
スカイガールズ Vol.1
川澄綾子;後藤沙緒里;伊藤静;辻あゆみ;藤原啓治;白石涼子 岩崎良昭
ジェネオン エンタテインメント 2007-10-31
Amazonで詳しく見る by G-Tools
▼2007/11/05 (月)
今流行の初音ミク、まさかこれが来るとはおもわなんだ。
▼2007/10/23 (火)
□久しぶりに見た映画
ここ最近まったく映画、特に洋画に関しては興味を引くような作品がなくて、ちょっと離れていたために、まったく情報も仕入れてなかったんだけど、たまにはなんか見たいなあと思っていた今日この頃、映画館の前で見たポスターにビビっときて、その場で見ることを決めて入場したんですが、これが大当たり。
見たかったものを久しぶりに見ることが出来ました。こういう作品選択の直感は妙に当たるんだよな、うむ。
で、見てきた映画というのがこちら
http://www.panslabyrinth.jp/
YouTube - 映画『パンズ・ラビリンス』予告編
「パンズ・ラビリンス」という少女が主人公のダークファンタジー。
一見して迷宮に迷い込んだ女の子が大冒険する「不思議の国のアリス」っぽい話かと思っていたら、全然違った。
スペイン内戦のファシズムとゲリラの闘争を背景に、おとぎ話を愛読する少女が魔法の国へ行くための試練を受けるというお話。
現実と空想の対比のさせ方が非常に上手く、渋い作りで、それだけでも個人的には絶賛モードなんだけど、安易なハッピーエンドで終わらないところが、バットエンド映画愛好家として、シビレた。
パンフを読んでいたら宮崎瞬作品の影響や共通性を指摘されていて、確かにうなずけるところはあるけれど、テイストは、決して大衆向けではないと思う。
アニメでこういうのを見てみたいなぁ、とか思うんだけど、こういうのを作れるセンスのある人ってちょっと思いつかない。まあこの手のダークファンタジーは全然流行ってないってのもあるけど。
現状、4コマやラブコメ系の日常モノや、学園ユートピアものがアニメの主流だけど、それも極まってきちゃって、個人的に、飽きちゃってるんですよね。
↑サントラの画像がちょうどポスターのと同じだったので大きめに貼っとく
▼2007/10/22 (月)
□もっけ 1〜3話感想
正直、演出・作画のレベルは微妙。
1話は原作のエピソードをかなりいじり倒してして原形をとどめておらず、原作信者からすると、全然わかってねーといいたくなるような改悪ぶりで、こりゃだめかぁ、と諦めてました。
が、2、3話といじってはいるけど原作のイメージはなんとか保っていたので、なんとか赦せるレベル。
まあ、2話の「ナガレイズナ」の話は普通にやれば、面白くできてあたりまえのエピソードなんだけど、これ1話に持ってきた方が良かったんじゃないかなあ。
それでも演出に関してはもうちょっとどうにかして欲しい。
原作は地味だけど話もキャラも力のある作品だと思うし、いい演出家がやれば力量を発揮できるだけの自由度もあるとおもうのだけど・・・
ロケハンとかやってもっと美術に力入れてもいいと思うんだけどなあ。
だから神戸守にやらせろと・・・
スタッフの能力も予算もどう見ても足りないのが残念でならない。
マイナー原作のアニメ化なんてこんなもんですかねぇ
おお振りとか蟲師とかほんとうらやましいです。
原作は超絶オススメ作品です。
▼2007/10/15 (月)
□こどものじかん 第一話感想
一話を見てきたんですが、放送中止になる理由、そして評価されている理由、どちらもよくわかった。
個人的にはロリ系で下ネタに走るなら、「みつどもえ」くらいが、コメディとして楽しめる範囲。
「苺ましまろ」みたいなファンタジーはいってる方が一番好みなんだけど
「こどものじかん」は、罪悪感を刺激されてちょっときついな、というのが正直な感想。
性的な事に自覚的で大人を誘惑する小悪魔的な意味での「ロリータ」としては「こどものじかん」みたいなものの方が、正統なのかもしんない。こういう方向性が好きな人も多いだろうし。
自分は、こどものイノセントさだけを見たいんだけど、「こどものじかん」におけるあの生々しさは、ちょっと目をさませせられた。
オタク表現におけるロリはなんだかんだいって無邪気すぎるんだよな、と、
こどものじかん 地上波放映中止について思うこと
ロリエロが、教育問題を描く為の売るため要素なんじゃなくて、教育問題が、ロリ好きに対するカウンターなんだと思うんだ、こどものじかんって。
▼2007/10/08 (月)
アンドロイド・アナ MAICO 2010 DVD-BOX 12/19発売
リスキーセフティの前の作品で、放映では見ていたものの、DVDはもってなかったのですよ。
中古で探してもそろわなくて、ちょっとあきらめ気味だったんだですが、BOX化決まったんですね、うれしい。
これでようやく舛成監督作品が手元に全部そろうぜえ。
BOX化にあわせて東京MXでセレクションで再放送はじまってるそうなので、興味ある方はそっちで見てみると良いかもです。
しかし、これも10年近く前の作品になるのか・・・
▼2007/10/07 (日)
□しゅごキャラ 第一話感想
http://shugo-chara.com/
さほど期待してなかったんだけど、意外と良かった。
一話からヒロインの亜夢がきっちりかわいく描けてて好印象。
ここんとこ少女アニメ系で、楽しめるものがなかったので、期待したいです。
「キャラを作る」って言い方が日常生活でも、定着しつつあるのか、それを上手く、表面の自分と内面の自分とのギャップに悩むという思春期的なテーマと結びつけて、伝統的な魔法少女もの文脈をひねって変身モノとして定着させているのも、よく出来ている。
あと、変身後のくるくる回るとこや、浮遊感とかよくかけてて、あそこのシーンは気持ちよかった。
□ガンダムOO 第一話感想
http://www.gundam00.net/
意外にあっさりとした1話。
Wちっくに延々と戦争とはなにかを議論しそうな設定だけど、どうなることやら。
あんまりまり薄いことすると、いい大人が大人気なくこき下ろすから、大変ですよね、ガンダムって。
ただテロリストの乗ってた雑魚モビルスーツのデザインが良かったので、そこだけは評価。
▼2007/10/04 (木)
□天元突破グレンラガン 最終回によせて
掘り抜いた男の一代記〜天元突破グレンラガン仮総評〜
>これまで先人たちが積み上げてきた表現やテーマ性を完全に消化して飲み込み、それを昇華させて、主人公シモンという男の一代記を掘り抜いた事こそがこの「天元突破グレンラガン」という作品の真価です。
ゆーずー無碍さんの 一文が非常によくまとまってたので引用。
ガイナックス、というか主に庵野監督の作品が、過去の作品のパロディやオマージュをよく使い、演出や表現技法も先人の技術を上手く真似て作られていて、そういう意味で、先人の技術の上で成り立っているのだけれど、庵野監督自身は、そのことで、自身のオリジナリティの欠如を感じ、自虐的な負い目を持ってそのことにこだわっていたけれど、逆にグレンラガンという作品では、表現技法を「先人から受け継いだもの」として昇華させることをポジティブに捉え、物語とテーマの中に組み入れられていたと思う。
特に今石監督は、アニメ業界の中で一時期死にかけていた金田伊功の流れを汲む作画のフォロワーとして尖がってきた経緯もあって、この作品そのものが、先人達への技術と作り上げてきた道へのリスペクトの結実でもあり、自身の決意表明を謳った作品だったんだろうなあ、と思いました。
さて、ここからは、あくまで個人的な感想です。
グレンラガンを最終回まで見て、本当に話もテーマ、映像表現も、すごくよく出来た作品だなあと思いました。
ガイナックス作品として、誇るべきだと思うのです、思うのですが、実のところ最後まで作品の勢いにノレなかった、というのが正直なところでもあるのです。
見ている間は確かに楽しむことはできたけど、でもあまりにも展開が早過ぎたせいか、各キャラへの思い入れがもてなかったのが最大の要因かもしれません。
キャラへの思い入れがもてないせいか、ラストバトルに至って絵面はこれでもか、と盛り上がってるんだけど、それを妙に冷めた目で見ている自分がいることに気づいてしまいました。
最終話前のキタンやグレン団の名前も覚えていない仲間の散華も同様、主人公のシモンとの関係が薄い性で燃えない(むしろロシウやビラルが死んだほうが泣けただろうなあ、ロシウ、ビラルはやや思い入れがあったし)
熱血ロボットアニメ(でいいんだよね?)を見ているはずなのに、血が騒がない・・・いや血の温度は上がってるはずなのに、沸点を越えないというほうがより正確か。
2クールに詰め込んだ勢いは、グレンラガンという作品の特徴でもあり魅力ではあるのかもしれないが、その分、個々のキャラの関係性の書き込みが薄くなってしまったのではないだろうか。
もし4クール使って、緩急のあるシリーズ構成で、エピソードを増やせれば、また違った結果があったかもしれないと思うとややもったいない。
▼2007/10/01 (月)
□魔法少女リリカルなのはStrikerS最終回によせて(ネタばれなし)
はっきり言って作品としては惨敗でしたね。残念ながら。
2クール以降の展開は、良かった探しもいっぱいできるけど、同等かそれ以上に不満や突っ込みの嵐にしかなりそうにないので、なにも書かないようにしてましたが、ファンとしては最後まで色んな意味でハラハラして見れて、楽しめたのも事実ではあります。
さて今期の問題点を短くまとめると、多すぎるキャラに対して懇切丁寧な設定説明を繰り返す割に、肝心のドラマの積み重ねがすっぽり抜け落ちてしまって、キャラの関係性が描ききれず、空回りしてしまったということに尽きるのかな。
見せたいシーンややりたいことはいい意味でベタで、その意図はわかるんだけど、だからこそ余計に、それを上手く見せることに失敗してしまった、こういう作品においてこれは致命的としかいいようがない。
視聴者の欲求は、そのベタな展開を気持ちよく見たいことにあるわけだから。
実際その「ベタな展開・ドラマを上手く見せる」というのは無印、A’sでは、ちゃんと出来ていただけに、残念と言うほかない。
また、今回は、そういったシナリオ・構成の問題に加えて、全体を通して作画・演出陣の力量不足が目立ってしまったのもマイナスでした。
(斎藤良成氏(ベルカ式作画の人)を始めA’sで活躍した作画・演出陣が、StSに参加していないのも大きいと思うんだ)
ただそれでもStSは見捨ててしまうには、惜しい作品ではあるのだ。
新キャラはそれぞれ魅力があって、話の全体の筋も悪いわけではなかった。
作り手の意図や、作品の目指していたであろうものは、むしろわかりやすいくらいで、だからこそ、スタッフの力不足で到達すべき地平に到達できていないことがわかってしまい、歯がゆさを感じてしまう。だから毎週、見終わるたびに
「もっとここをこうすればよくなるのに!」
「自分ならここをこうするのに!」
と、思い、次の週までに、また無駄に予想や期待をもって、見てしまうということを繰り返してしまう。
まあ、それはそれで楽しいと言えば楽しかったのも事実。
もともとなのはシリーズは同人・二次創作との相性が抜群に良い作品で、そこもまた魅力の一部ではあるので、その本編で欠落した各キャラのドラマを妄想で補って自己解決したり、同人誌で補完することができるのだけれど、今期はもはや、それ前提でないと楽しみようがない、という意味では、完全にファン向け上級者向けになってしまっていることは否めない。
また「自分ならここをこうするのに!」という思いは、自分のなかに理想の(実際の作品の欠点を補った)作品の形を作り上げ、それを是として、実際の欠陥多き作品や作り手を過剰に否定してしまうという事態を呼び起こしやすい。(実際そういう感想をちょこちょこ目にしたしその気持ちにはむしろ共感してしまう)
知識のないまっさらな状態で新作を見るときは起こり辛いが、作品やキャラのイメージが確固として出来上がった作品の続編では、ファンの妄想や期待も大きく膨らんでしまう為に、これが非常に起こり易い。
下手を打つと「スタッフは作品・キャラの本質を理解していない!」とコアなファンに思われてしまう可能性も高い。
自分は実際に「スタッフは作品・キャラの本質を理解していない!」と判断して、シリーズの続編が作られる度に、某スタッフの一人を本気で呪い殺したくなる作品のファンをやっていたことがあるので、今回のStSの件は、シリーズものにはよくある事、いつか来た道、とある程度冷静に見ているわけですが・・・
心配なのは、こういう風に視聴者、ファンの期待を超えられなかったシリーズ物は、その後、ファンの気持ちが離れてしまいかねず、StSはぶっちゃけその可能性を否定できないということです。
確かに作品としてStSは必ずしも評価はできない、「惨敗」だったのだけれど、じゃあ、スタッフが「作品・キャラの本質を理解していない」のかというとそうではない。
わかりやすいくらいに、StSが見せたかったもの、語りたかったものは明確だったし、それ自体は、「なのは」と言う作品の本質から外れたものではなく、延長あるいは「繰り返し」であったと思う。
だからすべて、その意図を実現し形に出来なかった都築氏を含めたスタッフの力量不足に問題があったと言う他ない。
これは大切なことなので、なのはのファンの人にはちゃんとわかって欲しい。
StSを見ていて、繰り返し感じたことは「こんなのは『リリカルなのは』じゃない!」という作品の根幹に対する否定、不満だっただろうか?
否、 「もっとここをこうすればよくなるのに!」「自分ならここをこうするのに!」「○○は必要ない」「○○が足りない」「作画orz」という、あるべき理想の「なのは」の形に、たどり着けない歯がゆさではなかったか?
「リリカルなのは」という作品の本質、根幹自体は、StSによって破壊されたわけではない。
それを作品として実現できなかっただけだ。
だから、「リリカルなのは」シリーズがこれでダメになったとも、終わったとも私は思っていない。
これは重要なことだ。
過去に死ぬほど愛した作品の本質がシリーズ続編を作られる度に歪められ、破壊された経験のある私が言うんだから間違いない。
一度、本質が歪められ破壊された作品に復活の目はない、仮に続編があっても、それは旧作のファンからは目をそむきたくなる代物でしかないだろう。
しかし「なのは」はまだ終わっていない。
「なのは」という作品の本質はまだ保持されている。
「なのは」シリーズが作品として出来る事のポテンシャルはまだまだ尽きてはいない。
だからまだ見捨てるには、惜しい、諦めるには、早い。
ということで、私は第4期に期待します。
▼2007/09/26 (水)
編集長メモ:
【訃報】逢坂浩司さん
氷川竜介ブログ:
【訃報】逢坂浩司さん
⊂⌒⊃。Д。)⊃カジ速≡≡≡⊂⌒つ゚Д゚)つFull
Auto | 【訃報】Vガンダム、Gガンダム等のキャラデザを担当したアニメーターの逢坂浩司さんが癌でお亡くなりになりました【BONES】
いくらなんでも若すぎ・・・
Vガン、Gガン、その他多くのヒット作に関わっていて、キャラデザイナーとしてもアニメーターとしても存在感のある方だったので、この損失は、大きいと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
▼2007/09/05 (水)
□私がエヴァ新劇場版をイマイチ見たいと思わない理由
エヴァの新劇場版が公開されたそうで、意外にも好評と言うか話題になってて、エヴァ人気ってまだ衰えてないんだなあと感じる今日この頃ですが、実はコロッと、その存在自体を忘れてて、ああ、もうやってるんだーというぐらい、今回の新劇場版に興味がなかったりします。
そもそも、エヴァ新劇場版の一報を聞いたとき「なんで今更?」としか思わなかったし、今もそう思ってる。
なぜならエヴァは自分にとってとっくの昔に「終わった」作品だから。
自分にとって「エヴァ」が終わったのは10年前の劇場版、「Air/まごころを君に」を公開当日に並んで見終わって、劇場からでた瞬間だ。
それ以降、劇場版含めて、実はエヴァをまともに見返したことがない。
そもそも「Air/まごころを君に」は、庵野監督がエヴァを完膚なきまでに終わらせるために作った作品だと思っていました。
未完性と叩かれたTV版最終回とは違い、「Air/まごころを君に」で、エヴァは作品としてきっちり蹴りが着いてしまっていると思うし、わざわざ実写で劇場の観客を映すなど当時のファンの熱狂に対する嫌がらせとも思える行為は、庵野監督自身がエヴァに止めを刺すためにやっているとしか思えなかった。
その作品を、今更作り直す意義がどこにあるのかわからない。
なにより、自分にとって「エヴァンゲリオン」と言う作品は当時のリアルタイムで見ていたTVシリーズの興奮と物議を醸した最終回から二度の劇場版へと至る、ファンや業界全体を巻き込んだ狂乱状態を含めて「エヴァ」でありその体験こそが、「エヴァ」だったといってもいい。
故に、今回の新劇場版を見に行くことにどんな意義を見出すべきかわからない。
(エヴァとは作品と言うより体験そのものであるとするなら、どこを入り口にするかで人によってその意義は大きく変わるだろうし、今回の劇場版がエヴァ体験の重要な一部になると言う観客もいるかもしれない、それはそれであるいは幸福なことなのかもしれないが。)
そして何よりも、自分はエヴァ以降、グダグダジタバタした庵野監督の本気の新作アニメ(もちろんエヴァじゃない)を見たいと思っていた。
一時期実写に浮気していたりもしていたが、いつか必ず、アニメに戻ってきてくれるだろうと待ちつづけていました。
だから今回のエヴァ新劇場版は、グダグダジタバタした結果何にも得るものがなくて、結局エヴァを作るしかないと言う状況に落ちてしまった、結局、エヴァの呪縛から逃れきれなかったという庵野監督のエヴァに対する敗北なんじゃないの?としか思えなくて、余計に興がそがれてしまう。
と、まあ色々思うわけですが、なんか大人の事情があるんでしょうねー、今回の新劇場版には。
新作作るのに資金が必要で、エヴァを利用してるっていうなら、まあ、それもありでしょう。
でも、また道楽のために実写に逃げられたら、ほんと○○って感じです。
結局言いたいことはひとつだけです。
いい加減、庵野監督のオリジナル新作アニメが見たいです、以上。
▼2007/08/30 (木)
現在WOWOWノンスクランブルで放送中の「バッカーノ」で神戸守担当回がある模様。
http://www.wowow.co.jp/anime/baccano/episode2.html
9/13の6話と9/20の7話
▼2007/08/17 (金)
ちょ、アニメスタイルのイベントで神戸守監督の教育映画上映するってぇ!
【EVENT】「いろんなアニメを観ちゃおう大会」『帝都物語』コーナーに、りんたろう監督が出演!!
>今回上映するタイトルは、まず、中編映画『くもりのち晴れ』。学校等での上映を目的に作られた作品で、一般のアニメファンはなかなか観る機会のない作品です。イジメをテーマにしており、ドラマ的にもしっかりと作られたもの。監督は神戸守、キャラクターデザイン&作画監督は赤堀重雄。作画的にも見どころが多く、原画メンバーも充実。井上俊之さんも参加していますよ。赤堀さんのトークつきの上映となります。
これ見れる機会なんてほとんど絶望的だっていうのに、
なんで仕事あるんだ、仕事なかったら絶対いくのにorz
すいません、行く方いらっしゃいましたら御報告お願いします。
▼2007/08/15 (水)
□グレンラガン妄想解釈 カミナの死が象徴するもの
毎回なんだかんだいいつつも楽しみにしているグレンラガンなのですが、二部に突入して、なぜ物語がいきなり7年後にとぶのか、それ以前にカミナはなぜあんなにも早い段階で死ななければならなかったのか、ちょっと独特なストーリー構成の性急さは単に尺の問題なのか意図的なのか、ちょっと疑問におもっていたのですが、20話を見た後ぼーーっとしていたら、その答えになる解釈づけけをふっと思いつきました。
ガイナックスの作品中には、自伝的な要素が入り込むことが割とあるのですが、グレンラガンもそのパターンに当てはまるんじゃないかな、と。
(ちなみに周辺情報とか他所様の解釈とか全然見てないので既出ならすまん。)
まず最初に監督の今石洋之氏の視線が主人公のシモンにあると仮定して
シモン=今石監督
グレン団=ガイナックス
テッペリン攻略=エヴァンゲリオンの成功
と置き換えて考えてみると、7年後にシモンが総司令となり、グレン団のメンバーだったものの一部は去り、残ったものは要職につき、地下から開放された人間達の生活を守るため組織を維持するため働いている、その様子がテッペリン攻略=エヴァンゲリオンの成功で、業界を活性化させオタクファン層を拡大し、組織自体も大きくなった現在のガイナックスを象徴している、というように見ることができるのではないだろうか。
街を守ろうと戦闘したシモンに対する大衆の自己中で無理解な非難は、そのまま最近のファンの言動を表している、といった感じ。
この仮定を前提に色々当てはめて行くと面白い解釈が成り立つわけですが、その前に少し、ガイナックスの設立から現在に至る沿革をちょっと復習。
ガイナックスは最初の作品である「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を制作するために、その前身となるゼネラルプロダクツ・ダイコンフィルムというアマチュア集団が中心となって立ち上げた会社だったが、もともと王立完成後にガイナックスは解散する予定だったらしい。
しかし王立で出来た赤字を返済するため、会社として存続することとなった。
その後「トップをねらえっ!」や「不思議の海のナディア」などを制作しファンからも支持を受けるが、ガイナックスの創設者の一人であり社長だった岡田斗司夫は、エヴァの放映より以前の1992年に退社し、前田真宏など一部の主力メンバーがGONZO設立などに動いている。
そしてその後しばらくしてエヴァンゲリオンが大ヒットし、当時閉塞していたアニメ業界は活性化し活気を取り戻す。(今石監督はエヴァで動画として参加)
その後のガイナックスは、組織としての地位や人気は揺るがないものとなり、多くの作品を手がけていくが、必ずしも大ヒットがあるわけではなく、普通のアニメ制作会社になりつつある。
こうしてみると、エヴァ以前に創設メンバーの離脱は、カミナの死と符号させることができる。
そして、カミナが死に残った者が意思を受け継いで、テッペリン攻略を成し遂げ、現在に至る過程はグレン団=ガイナックスに上手く符合する。
(また余談ながら、テッペリン攻略後のヨーコの離脱は、庵野秀明が現在、ガイナックスと距離を取っていることにも符号する。)
ガイナックスに採用され入社した若手の今石監督がシモンがであり、カミナがガイナックスの創設メンバーと仮定できるとするなら、シモン=監督がグレン団=ガイナックスに入りカミナから受け継いだ魂ともいうべきものは何か?
それはガイナックスの前身であるダイコンフィルムから受け継がれた「アマチュアリズム」であり、物語の最初にカミナが地上に出て行こうとするのも、自身の力試すべく、アマチュアリズムを武器に商業ベースへ打って出たガイナックスそのものを象徴しているとみてとれる。その純粋な創作への渇望と自身をを取り巻く状況を打破していく意志の力を「天をつらぬくドリル」として表しシモンに託しているのではないだろうか。
カミナとその死が象徴するものは、ひとつとは限らず複層的な意味合いを持つが、カミナが象徴するものが、ガイナックスの創設メンバーであると同時に、ガイナックスの草創期に持っていたアマチュアリズムの精神であり、創作への純粋な渇望であったとするならば、カミナの死は、その死を象徴しているなのではないだろうか。
アマチュアリズムの死が最も表れたのが7年後のロシウであり、シモンよりも新しい組織体制や大衆を守ることを優先する彼は、会社が組織として果たさなければならない責任を負ってしまった現在のガイナックスを象徴している。
対してシモンやキタンは、グレン団=ガイナックスのアマチュアリズムの魂を守ろうとする創設後入社した現場スタッフ、つまり今石監督達自身を象徴している。
グレンラガンが現在の若手中堅スタッフの物語であるからこそ、ガイナックスの草創期の魂を象徴する「カミナ」というキャラは中途で死ななければならず、事実、草創期より受け継がれたものが現在、失われつつあるかも知れないという意識が彼らの中に危機感として存在しているのかも知れない。
ざっくりとカミナの死を中心に考えてみたけれど、けっこう上手く符合するのではないかと思っています。
獣人や螺旋王、ニアあたりの象徴するものについては、まだ深く考えてません。
まだ作品自体中途なので、アンチスパイラルや落下してくる月やらなにやらが象徴するものとかも、これからヒントはでてきそうな気がしますので、いろいろ考えてみると面白いかもしれません。
参考
今石洋之 - Wikipedia
ガイナックス - Wikipedia
▼2007/08/03 (金)
更新が停滞しまくっていますが、別にアイマスばっかやってたせいだけではないのです。本当です。
あー、もー、ここ2,3ヶ月もやもやと抱えていたジレンマがあったのですが、やっぱり、すべて吐き出すことにします。
ぶっちゃけ4月からこっち「リリカルなのはStS」は全部ニコニコ動画に最速でうpされるのを見てました。
画質の悪いファミ劇の二週遅れの放映なんて待ってられるわけがない。
夏の新作アニメもほとんどニコニコで見てます。
今までU局で放映される作品は、CSで1,2ヶ月遅れ、場合によっては流れないものもあったのですが、それらも視聴できて、旬なネタにもすぐについていけて、とても助かります。
一年ほど前ようつべが登場したとき、某ハルヒなんかも見ようと思えば見れたのですが、ようつべの画質の悪さでとても見る気がおこらなかったのですが、ニコニコは画質的にも許容できるものがうpされるし、何よりコメントが面白いので、画質を気にせずつい見てしまう。原作既読の作品はむしろニコニコでコメントつきで見たほうが面白いから困ったものだ。
ニコニコ動画のせいで、すっかりアニメの視聴スタイルがかわってしまいました。
いまさら、ニコニコに限らず動画共有サイトにUPされたアニメを見ること自体ネットやってればあたりまえでしょ?と思われる人も多いと思いますが、自分はそのことに「やましさ」を感じていました。
自分がアニメをいろいろと見始めた中学生のころは、もちろんネットもなく、再放送がない限り見逃した作品やOVAはレンタルやソフトを買うことでお金を払って、見なければなりません。
数年前から増加したU局作品は地方在住なのでCSを利用しなければ見ることが出来ません。
CSのみで放映される作品もあり、それは、対価を払うのは当然ですが、電波圏に住んでいれば無料で見れるものにも対価を払わなければ見れなかったわけです。
しかしU局作品には合法的な手段で対価を払ってもリアルタイムでは見られないものもたくさんありました。
ところが、動画共有サイトの登場で(それ以前にファイル交換ソフトというリスクの高い手段もありましたが)今まで払っていた対価を払わずに、地方在住ということで、悩まされていた放映地域の格差を解消して、お釣が来てしまう本数のアニメを見ることができる夢のような環境が手に入ったわけです。
が、しかし、そこにはある種の違法性があり、著作権者の権利を侵害していることが常に留保されると同時に、私が今までずっと払っていた「対価」は著作権者の懐には入らなくなってしまうということでもあり、それは明らかに著作権者にとって不利益ではないのか?という考えがついて回ってくるのです。
著作者に対してその活動を応援し支えたい、という私個人の矜持がそこで揺らいでしまい「やましさ」が生まれるというわけです。
じゃあ、ニコニコ見るのやめればいいじゃんと、言われるかもしれませんが、一度手にした禁断の果実を手放せるほど人間できてません。
見て気に入った作品は、DVDや関連商品を買えば、きっちり著作権者に貢献できるというのを一応免罪符として掲げることも可能なのですが、・・・本当にそうなのか?それは詭弁ではないのか?という疑問が常について回ります。
まあ別に個人的に動画共有サイトを利用するだけなら、黙っていれば誰にも分からないことなので、やましさを感じているだけで済む問題なのですが、アニメをネタにしたサイト運営者ともなると、なかなかそうもいかない。
夏放映の新作でいくつか気に入った作品感想を書きたくとも、書きたいと思うものは、よりにもよってU局作品ばかり、今まで「地方在住でみれねーよ」ということを散々ネタにしてきたのに、いきなりU局の作品の感想を何食わぬ顔で書くのもはばかれるし、わざわざニコニコで見たと公言するのも「自分は違法に手を染めてます」と公言する厚顔無恥な人間みたいで嫌すぎる。
これは、単純に自己防衛として、トラブルが起きないように判断の難しい著作権の絡む問題に関わらないようにしていただけという面もありますが、サイト運営上、建前として「著作権を侵害する行為、それを助長する発言・記事は控える」ということを自己ルールのひとつとして規定してきたので、それに反したくないというのもありました。
(実際にはアイドルマスター動画やMADにリンク張ってる時点でこの禁は既に破ってしまっているのですが)
というような諸々の事情からジレンマを抱えてずっとぐるぐる考えていたのですが、ようつべ登場以降、もはや動画共有サイト容認という空気がネット上では出来上がってきている(気がする)
もう、なんかひとりだけ自己ルールに縛られているのがだんだんバカらしくなってきたし、何より現状それで自分自身がネットやアニメを楽しめないのでは元も子もないという、考えに至りました。
というわけで動画共有やその著作権に関する問題は、情勢を見つつそれにあわせて柔軟に判断していくことに自己ルールを改定することにしました。
今後、動画共有で見たアニメの感想も気にせず普通に書きます。
動画へのリンクに関しても適宜判断して行います。
まあ、他所のサイトの基準に照らして変えていこうということなので、わざわざこんなこと断る必要もないのですが、以前ようつべが登場して間もないころ、わざわざようつべ使って更新ネタにしたくないという発言をしたことがあり、それを覆すことになる為、一応筋を通しておきたかったというだけです。
うーん、こういうことにこだわるのは自分がオールドタイプだからなんですかねえ・・・